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(回答先: 飢餓への恐怖をムチにして、人を働かせることは止めようという理念先行型で考えましょう 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 12 月 31 日 13:05:00)
>最大多数の最大幸福さん どうもです。
>【お医者さんなんか、現状でも、非常に割りの合わない労働環境で働いていらっしゃる方々が多いですが、
これは、おそらく、「飢餓への恐怖」ではなく、もっと上位の使命感のような心持ちで、
お仕事に邁進しているのだろうと思います。
これは、人間全員が、超合理主義的な行動を取るものだという前提に立てば、
説明のつかない現象ということになります。】
ここは、Kにも説明できない「謎」です。
K自身が「休日出勤、有給捨て勤務、サービス残業」を「当たり前」のように繰り返していますが、ハッキリ言って「使命感」も「充実感」も稀薄です。
「俺って、バカ以外の何者でもないな」という嫌悪感を抱きながら「それでも、働いている」のです。
実際問題として「もう職場のためには指一本動かすのも嫌だ!!」という感情があります。
Kが上層部に上げた決して少なくない数の提言は「ことごとく却下、無視されています。」
Kの意見は「もっと、現場の声を聞け!」的な物が多く「職員を大切にしない企業はいずれ破綻する」として「職員の声を吸い上げるための実現可能な具体策を提言している」のですが、すべて、却下・無視です。
それでも「自分の行動に嫌悪感を抱きながら、企業のために働いている」のです。
わずかばかりは「責任感」があるのでしょうが、どこをどのように考えても自分自身の行動が理解できないという「謎になっている」のです。
そのように「合理的思考」だけでは「割り切れない要素」は「ある」のです。
しかし、現実的には「日本はそのような非合理的な善意・使命感によって働く人を否定してきた。」のです。
そのような「訳の分からない使命感で働いていた人は、多くが公的公共性企業の労働者」でしょう。
「郵政職員」「学校教師」「医師(特に国立病院系の勤務医)」「社保庁の窓口要員」などです。
日本国民は「それらの労働者を虐めてきた」のです。
官公労に所属している職員の「実態」を詳しく調べもせず「公務員は休まず、遅れず、働かず」というような10年以上前のイメージによって「批難糾弾」を繰り返して「官から民へ」を押し進めてきたのです。
安倍総理という総理大臣すら「責任放棄をして地位を投げ出す」という無責任体質の中で「未だに、人の善意・使命感のような非合理的な物に頼る」という「理念先行」は危険ではないでしょうか?
ただし、どこかに「善意で使命感を持っている人」は残っているでしょう。
しかし、極少数でしょうし、年配だろうと思います。
今のニート・フリーター世代が「労働力の主力を担う」という年齢層になった時、果たして「説明不可能な善意による使命感のような物」が維持されているのでしょうか?
その時になってあわてても「恥知らずの乞食が溢れている」のですから、プライドも使命感も「再構築は出来ない」だろうと思うのです。