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おそらく、後世の史家は、「9.11−」をもって<影戦(体制)>の開始と位置付けるでしょう。 そうしてそれは<冷戦(体制)>の第2バージョンだった、と。
ではその<冷戦>とは何だったのか? この場合、従来イデオロギー対立の側面をのみ強調されていますが、勿論それは誤りです。 実際にはアジアでは熱戦(朝鮮戦争・ベトナム戦争)だったのであり、従って、敢えて言えばヨーロッパ側の冷戦、アジア側の熱戦と言うべきでしょう。 しかし、それさえも実態に即しているとは言えない。
何故なら、それらの戦争を戦った当事者のメンタリティを覗いてみても、その主要な動機は「民族独立・植民地解放」であり、むしろイデオロギーはその便法に過ぎなかったとさえ言えるからです。
しかしながら、そういった個々の要素を撥ね退けて、第二次大戦の結果の現状凍結(ヨーロッパ)とその未定地(アジア)で雌雄を決す、という大国間の争いに還元されて仕舞うのも国際政治の冷厳な現実でもあります。 今回、「ミヤンマー問題」について、私が口を酸っぱくして「国際政治」を力説するのも、かかる視点が多くの諸氏から完全に欠落しているからに他なりません。 つらつら思うに、それは何故か?と問えば、詰まりはそれらの諸氏の思考(?)が第二次大戦の結果とそれを正当化する言説の枠内にあるから、でしょう。 右であれ左であれ!
最近、一部のメディアで話題になりましたが、アメリカのシンクタンクが世界各国で世論調査して、「アメリカのやり方が世界に良い影響を与える」という見方に、日本とフィリピンのみが、賛成派が上回る、異常に高い数値を示したとか。 精神の植民地化はかくの如しです。 となれば、<民主化>という言葉に、<パブロフの犬>の如く反応し、思考停止状態に陥るのもむべなるかな。
第一、皆さんは忘れてるかも知れないが、「イラク戦争」の大義名分は「フセイン独裁政権の排除」と「民主化」なのであり、その本質において、今回の場合と何等変わらない。 「強制的」と「自発的」では違うと思われる向きもあるかも知れませんが、客観的に見れば、アラブ随一の<近代化>=産業社会化を実現していたイラクは、<民主主義>の必要にして十分な条件を備えていたのであり、もし日本にやったような占領統治を敷いていたならば、遥かに容易に、<民主化>は実現したということになったでしょう。
だが、そうにはならなかったーそこにあるものこそ、アメリカの思惑なり戦略の違いなのです。 だからこそ、そのアメリカの思惑なり戦略を読んでおくことの重要性があるのです。 勿論、今回のミヤンマーに対する私の立場も、アメリカの戦略を読んだ上のことです。 ではアメリカのその<戦略>とは何か?