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(回答先: Re: 影の意味 投稿者 影の闇 日時 2007 年 10 月 15 日 23:28:44)
影の闇さん、今日は、レスをありがとうございます。
>そうですね。 ただ、小生の前回立てたスレッドに関して、「近代の生成あるいは復権」ということで感想を頂いていたので、こちらに来たら挨拶しようと思っていました。 今回、少しだけど、それについても入れてみました。
影の闇さんにとっては釈迦に説法になるかも知れませんが、日本においては近代の再構築がなされた上での脱構築であり、もしくは幾分かの時差を伴ないながらも二つのことが同時並行的に敢行されるのでなければ近代の復権も近代の超克もあり得ないだろうと云うのが「近代の生成あるいは復権」の趣旨でした。
>いや、実は、構築主義の元凶というか元祖中の元祖、プラトンなのです。 『国家論』に出て来る”洞窟の比喩”と言ったら解ってもらえるでしょうか。 プラトンの喩える「洞窟の壁の影を見て本物と思ってる囚人」って、そのままズバリ、現在にも繋がってくるわけで、より直截的に”メディアの囚人”といってやりたい状況があるんだけれども、まぁそういった状況に批評的に関わっていこうとすると、映像メディアがこれから決定的に重要な意味を持って来るだろうから、それに応じたスタンス、ということで。
私の妄想におつき合いいただき恐縮しています。“洞窟の比喩”が脳裡を掠めはしたのですが、その原義が影に頭を突っ込んで囚われたままになっている人々の存在様態を示すものであると理解していはたものの、影の中(うち)にある闇を穿つことまでも含意しているかどうかは考えが及ばなかったことも手伝い、余計にどんな想いを込めてられているのか興味が湧いたような次第です。現状は影の闇とは影の中(なか)に潜む闇を衝くと云ったような拡張性をも含んだスタンスと受けとめたいと思っています。
><学校化>で身体がスポイルされるプロセスが<近代化>であることも彼の論考で教えられたような気がします。
近代化された自己の解体の模様を投射し、再構成のための一つの処方箋がイリイチの脱構築(論)ではないかと捉えています。そして、再構成にあたってポジとネガのどちらを素材とするべきかが問題となるのですが、イリイチの脱構築(論)のベクトルはより後者に重点を置こうとするものでありましょう。
私は再構成にあたっては何らかの理念や制度論が必要だと思っているのですが、それがヨーロッパ流のキリスト教を背景とするような社会民主主義(体制)なのか、キリスト教文化圏にはない国々(日本等)にとって如何なる社会民主主義(体制)が適するのか、未だに本格的な探究の緒にすらも着いてはいない日本の現状があります。しかし、ラディカルなところでは影の中(なか)に潜む闇を衝くことから開始されなければならないとの基本的な認識が必要だと考えています。
また、会いましょう。