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(回答先: 補足質問を兼ねて [影の闇さんへ] 投稿者 如往 日時 2007 年 10 月 14 日 08:07:08)
如往さん どうも初めまして こちらこそ、どうぞよろしく
>(多分初めまして)
そうですね。 ただ、小生の前回立てたスレッドに関して、「近代の生成あるいは復 権」ということで感想を頂いていたので、こちらに来たら挨拶しようと思っていました。 今回、少しだけど、それについても入れてみました。
>“影の闇”のHNからもしやするとイヴァン・イリイチの
いや、実は、構築主義の元凶というか元祖中の元祖、プラトンなのです。 『国家論』に出て来る”洞窟の比喩”と言ったら解ってもらえるでしょうか。 プラトンの喩える「洞窟の壁の影を見て本物と思ってる囚人」って、そのままズバリ、現在にも繋がってくるわけで、より直截的に”メディアの囚人”といってやりたい状況があるんだけれども、まぁそういった状況に批評的に関わっていこうとすると、映像メディアがこれから決定的に重要な意味を持って来るだろうから、それに応じたスタンス、ということで。
映画を中国語では電影という訳ですけど、cinemaを本質論からいうとこちらの方が正しいと思うんですね。 テレビやインターネットにしたところで、所詮、電気の影に過ぎない。 しかしながら、ここでのギロンを見ても解る通り、皆さん影=実在を疑っていないわけです。 しかも、それを精緻にする技術が発達すればする程この傾向は強まっていく。
−だからこそ、逆に言えば、<真実>に到達する為にはということで、これは殆ど哲学的なアプローチと重なってくると思っています。
>“シャドウ・ワーク”
勿論、自明性を疑うところから<影>を意識するのですから、その点では通低していると言っていいのですけど、直接的には意識していません。
小生のテーマというか、いつも念頭に置いているのは<身体>と<メディア>の問題で、イリッチから多くの刺激を受けてることは確かであり、<学校化>で身体がスポイルされるプロセスが<近代化>であることも彼の論考で教えられたような気がします。
けれども、そこに両義性を感じることも確かで、特にこの“シャドウ・ワーク”というのはフェミニズム或はウーマンズ・リブに回収されるようなある種の危うさを感じるのです。 私は、フェミニズムが必然であることは理解しますが、肯定はしません。