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(回答先: 補足質問を兼ねて [影の闇さんへ] 投稿者 如往 日時 2007 年 10 月 14 日 08:07:08)
もしアメリカが無かったら、第一次大戦でヨーロッパは社会主義(=社会民主主義)になっていた、という考え方があります。 つまり、アメリカが資本主義を延命させた、というわけです。 同様の理由で、もし日本などアジアが無ければ、ベトナム戦争敗北で資本主義は終わっていた、かもしれない。 −アジアが資本主義を延命させているのかも知れない、と想うのです。 つまり、<近代>が否定されるような状況が来ると、常にその主役(主体)を断罪することで<近代>を延命させるような力学が働いているように思えるのです。 第一次大戦で最初の<近代>への深刻な疑いや否定の大波が来ると、「悪いのはブルジョワ」の大合唱が起こり主役交代、<大衆の時代>に合わせて近代システムはそれなりの手直しをして延命、そうして大衆の<主役>であるアメリカへの幻滅(ベトナム戦争等で)で、70年代半ば、再び<近代>否定の大波がやって来ると、今度は「悪いのは男」ということで、男優位のシステムを手直しして(実は男と対等ということで、女の男化で折り合ってる!)延命させるーそういった流れに棹差しているように思えるからです。
そして、この男と女の関係は、そのまま西欧とアジアの関係に類比されるものです。
女の時代とはアジアの時代である、しかしながらそれは、女=アジアが主役ということではなく、男と同じことを強いられる(それはしばしば女の生理破壊をもたらす)ーそのように、欧米と同じシステムを強いられてるーそれが現下の状況であると思うのです。
<近代>の最終段階=大衆の時代の最終段階としての女(子供)の時代、しかしながら、大衆の時代が決して”八っぁん熊さん”が主役でなかったように、女の時代も決して女が主役ではないーアジアが主役とは考えられない。
だとすると、女の固有性をトコトン主張するか?或は男を徹底して否定するか?それともこの男と女の関係を脱構築していくのか?
>イリイチ流の脱構築の構えを貫くことでしか、彼等の画策に抗うべき術がないのかも
西欧の歴史を観ていると、重要なところでプラトニズムが登場してくるのですね。
だから、言うならばヨーロッパの「体制の秘密」に通じてるようなところがある。
従って、もし「脱構築」が有効であるなら、何よりもそれはプラトニズムに対してであろう、と思っているのです。 だから、単に構築主義を忌避するのではなくーまぁミイラ取りがミイラになる恐れ十分ですがーこれを自家薬籠中のものに、出来ればしておきたい。
HNの由来がプラトンにあり、とはそういう意味です。