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(回答先: ブルジョワジーの生存権を認めない社会は暗黒の社会になるでしょう。>竹中半兵衛さんへ 投稿者 考察者K 日時 2006 年 11 月 29 日 23:00:15)
Kさん、どうもだす。
まんず、おらに対して論議ば続けてくださる寛容さ感謝申し上げます。
>ブルジョワジーの生存権を認めない社会は暗黒の社会になるでしょう。
Kさんのおっしゃること、いつの社会なのかはわがりませんが、おそらく社会主義社会のことだと思います。ブルジョワジーが生産手段を独裁して労働者を搾取するシステムがなくなるのは、生産手段が国有化されたときでしょう。国有化はブルジョワジー独裁の社会でも一部ではあるが、実際に行われてきた。イギリスでも、労働党政権のもと、主要産業が国有化された経緯があります。アメリカではFDRのニューディールは共産主義的と非難された。これらは課税対象として国営企業を創生したのではなく、ブルジョワジーが自由に労働者を解雇し、基幹産業の存立が危うくなったこと、失業の危機から国内不安が増大したことなどによって、ブルジョワジー独裁(賃労働と資本の矛盾を基盤とする)を維持する上での支配階級=ブルジョワジーの必要措置として講じられたのではなかったのか?
最近でも一時的にではあれ、ブルジョワジーが現実に生存権を拒否された例があります。それはバブルをもたらした日本経済の一方の主力であった銀行の破綻であり、これは現在的には乗り切りを果たした(バブル以後最高利益)が、これも金融独裁ブルジョワジーの大きな責任が問われる問題であろう。まずもってビッグバンの乗り切りを国民の血税を投入して、ブルジョワジーの延命を図ったこと。彼らのやりかたこそみずから危機を招いたわけで、存在価値などないのではないか?バブルに踊らされて金融・証券市場に人民を駆り立てた政府支配階級に責任がないのか?バブル崩壊後の不況の強権的乗り切りのためにはすべての矛盾を人民に押し付けた、こういう連中こそ日本を暗黒の社会に叩き込んだもと締めではなかったのか?経営破たんした中小・零細企業の経営者の多くが自殺したといわれる。失業率が5パーセントに上昇したのもこれが遠因ではないのか?大手流通業者のダイエーやサティもハゲタカファンドの餌食とされ、総じて「貸しはがし」で債務の返済不能状況に追い込まれて、第二次、第三次産業から大量の失業者が現出したではないか。自殺者数はそのため8年連続で、日本は3万人を超えるまさに「暗黒の社会」ではないのか?イラクやアフガニスタン、パレスチナで殺戮される死者よりもはるかに多い「犠牲者」が、ブルジョワジーによって創出されているのだが(たとえすべてがこうだとは言わずとも、自殺を選択せざるを得ない理由は現実社会への絶望、それを根拠とした自己自身への絶望があると思う。好んで自殺したのではない)。
1998年6月に長期信用銀行(宏池会と関わりが深い)が破綻したときには国はどういう措置を講じたか?破綻してから2004年まで国有化されていた。未曾有の金融危機に晒されていた日本国家ブルジョワジーは、都市銀行の累積債務を帳消しにするために金利ゼロを維持していたが、それでもバブル崩壊と日本経済の構造的な不況から脱却できずに公的資本の投入で乗り切ってきた。しかしバブルに乗った投資に経営のシフトを置いた長銀は破綻せざるを得なかった。その理由はウィキでも検索できる。
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新生銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%94%9F%E9%8A%80%E8%A1%8C
「経営は迷走を続け長銀は当事者能力を失い、政府主導で他行による救済合併が検討された。」
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この乗り切り方が「国営化」である。ブルジョワジーによる乗り切りが不可能となったときに、究極のブルジョワ的解決方法が、ブルジョワジーの排除であった。こうしてリップルウッドへ瑕疵条項つきでタダ同然で売却される結果となったが。
したがって次のKさんの意見はおらの見解については多少的外れとなってます。
>それは、それとして竹中半兵衛さんのご意見は「ブルジョワジーへの憎しみ」に満ち溢れているような気がします。
もちろん、Kもブルジョワジーを好きなわけではありませんし、Kには縁のない存在だと思っていますが、それでも「ブルジョワジーの生存権を無視し、彼らを駆逐した場所から始まる社会では、暗黒の社会だろう」と思っています。
ブルジョワジーを憎悪する気持ちは微塵も変わりませんが、だからと言ってブルジョワ個人の生存権を否定すてるわけではありません。彼らの生存基盤とすての現在の企業ば国有化すれば彼らも労働者になるわけだす(今はその逆ばやって国売りさ専念すてんだども)。これ自体は社会主義社会さなんねぐても、人権は保障され、憲法さ保障されてるとおり、門地門跡(今の世襲制)など無関係にみな平等な「労働者」となるわけだす。
それゆえ、このおらの考えば通り越した「ブルジョワジーを駆逐した社会」が到来するのなら、そのときには賃労働と資本の矛盾が解決されるこつさなります。Kさんがそれを「暗黒」という根拠がわかりませんが、まず労働者(プロレタリア)とすての無産者すか居んねぐなんだすな。人間が人間とすて本来の生産活動(自然に働きかけることによって獲得する生産手段の生産と人間の生産(生殖と教育))を行える本来的な社会が訪れるんではねですか?
>しかし、革命と云う手法に走った時には「金銭的強者、能力的強者、血族的強者、職業的強者」と云うような「他人の目から『主観で判断された』羨ましいと思われる人」の生存権が危ぶまれるでしょう。
「一時の混乱で多少の犠牲はやむおえない」というだけではすみません。他人の生存権を否定する社会は「常に新しい犠牲者を追い求める事になります。」
何故ならば、全ての人が「満足できる社会は絶対に作り得ない」からで、他人の生存権を否定する社会は「常に一定の不満を有し、その不満の解消に、憎しみの捌け口を探す」からだろうとKは考えています。
このKさんの主張はおらに対する誤解だすな。おらは現実の闘争を革命闘争とすて戦えとは一言も言ってませんが、Kさんがおらの論理ば突き詰めたところでそうおっしゃるのではないでしょうか?現実を突き詰めるということは社会について、いかに認識を深めるのかという問題を飛ばして行うことは不可能だす。前にも言ったことだすが、現実さ対して革命を対置しても無意味だす。議会の限界はKさんはKさんなりに、おらはおらなりに確認でけたわけで、互いに否定的にとらえてることも確認でけてるはずだすがな。革命パラノイヤは例の小ブル急進主義者の集まり、つまりそれゆえにすて組織内部に潜入すた国家権力のスパイに操られた連合赤軍だす。日本のCIAの暗躍を甘く見ちゃいけません。
ここにはKさんの自己矛盾を見出してしまいますだ。
Kさんが「他人の生存権を否定する社会」とおっしゃってるその社会を動かしているものこそ、日本帝国主義国家権力だす。「在日朝鮮人韓国人」同胞に対する差別をともなった排外主義、石原都知事よる三国人発言、国家の意向に反する労組や活動家に対する排除攻撃。反戦活動家に対する逮捕攻撃。自分たちの主張を物質かするためにはヤラセもいとわず茶番「ミーティング」を演出。現に他人の生存権を否定すてるのが日本政府支配階級だすがな。
まんずこだら問題を捨象すておらが革命主義者だと断定されても、つまりKさんがなにかを抜かして現実社会の不合理・不条理さ目をつむる姿がおらには見えるだけで、論点がちと違ってきてるような気がすます。
ま、とりあえず、論議は論議とすてキャッチボールすてがねばなんねと思ってますので、よろすぐ。