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>竹中半兵衛さん 朝の続きです。
Kは「現在の自公が目指している。競争社会・弱者切捨て社会は変えなければいけない」と思っています。
しかし、竹中さんのおっしゃるように
>【日本は安保条約でアメリカに協力加担して自衛隊(日本軍)を派遣してます。すでに安保条約はそこまで日本に対する強制力を有している。直接戦闘行為が許されていないだけで、憲法改悪が成れば、他国民へ銃を向けることもできることになります。野党が圧倒的に少数で、しかも民主党が右派が実権を握っているのに、国会論議だけでこの流れを止めることがでけるとはとても思えません。】
と云う意見も理解できます。
本来、日本国憲法は「支配者層が市民を盾として戦う事を禁じています。」
憲法は「国権の発動」である「交戦権」を認めていません。
これは、国民が自ら身を守るための「自衛権」を禁じたものではなく、国家権力者が「自分の地位や権力を守るべき手段としての交戦権」を禁じていると云うことです。
ですから、国民を守る自衛隊ならば「セーフ」ですが、国家を守る自衛隊は「アウト」だとKは思っています。
ただ、すでに小泉氏は「拡大解釈の手続きも不十分にイラク派兵」を行ってしまいました。戦後「最も憲法を無視し付けた無法者」の路線を継承しているのが現政権です。
先に書きましたが「現在の政治の分布図を見ると、議会で改憲阻止は限りなく困難」でしょう。権力がその気になって多数派形成をする気になれば「条件闘争的一本釣り(民主党の中の非主流はなど)」という手段を要しても「3分の2以上の数を揃える」でしょう。
それは、一時的な餌であり、目的達成のための「一時的な椅子と引き換えの使い捨ての数合わせ」でしょう。それは「今回の小泉チルドレン」で実証されているのですが、目の前の欲に目が眩んだ「裏切り者」はきっと存在するでしょう。
ともかく、議会での決着は「既に付いている」のだろうとKは考えています。
しかし、国民投票が残っています。
多くの国民が「どこかの国が攻めてきたらどうする?」という詭弁に騙されて、改憲されれば「守ってもらえるのではなく、自らを政治家の盾にされるのだ」と気づかせる事が出来れば、結果は分かりません。
自衛隊が「守ってくれるのではなく」自衛隊の正規兵の「弾除けに回される」事に賛成する人はいないでしょう。
それは、それとして竹中半兵衛さんのご意見は「ブルジョワジーへの憎しみ」に満ち溢れているような気がします。
もちろん、Kもブルジョワジーを好きなわけではありませんし、Kには縁のない存在だと思っていますが、それでも「ブルジョワジーの生存権を無視し、彼らを駆逐した場所から始まる社会では、暗黒の社会だろう」と思っています。
Kが現政権の方向に反対するのは「このままでは、生活的弱者・能力的弱者・生息域的が地方の人などの生存権が危ぶまれる」からです。
しかし、革命と云う手法に走った時には「金銭的強者、能力的強者、血族的強者、職業的強者」と云うような「他人の目から『主観で判断された』羨ましいと思われる人」の生存権が危ぶまれるでしょう。
「一時の混乱で多少の犠牲はやむおえない」というだけではすみません。他人の生存権を否定する社会は「常に新しい犠牲者を追い求める事になります。」
何故ならば、全ての人が「満足できる社会は絶対に作り得ない」からで、他人の生存権を否定する社会は「常に一定の不満を有し、その不満の解消に、憎しみの捌け口を探す」からだろうとKは考えています。
イラクの戦士のテロと云うのは「アメリカ国民の生存権を認めていない」という行為です。相手が「自分の生存権を認めないならば、全力を持って、これを排除する」というのは当然の行為でしょう。
「ブルジョワジー」の生存権を否定するならば、相手側も本気になるでしょう。戦前、共産主義者は「死の弾圧」を受けました。
ある意味では「それは、当然だった」のです。戦前の共産主義者は「弾圧を行った人達の生存権を認めていない存在であり」同時に「天皇制度を革命と云う手法で崩壊させよう」と考えていたのでしょう。
元々「治安維持法」とか「公安警察」というのは「国家を守るために、対共産ゲリラに対するもの」だったのですが、今、仮に暴力的な思想集団が騒ぎ出したら、共謀罪は「国民に歓迎されて可決される」危険性もあるでしょう。
憎しみの連鎖による手法は「危険」なのです。
「人を呪わば穴二つ」とも言いますが、憎しみと云う「憑き物」は「自分の正義」を信じた純粋な信念に「憑いて」、相手を殺すと云う悪を「最低の行い」を行わせるのです。
Kが目指すのは「全ての人(中には他人より良い暮らしをしたいと云う人もいるでしょうが)の生存権を保障した上で、一人でも多くの人が笑って(多少の不満を抱えながらも)暮らせる社会」です。