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民族は人工的なもの【安倍にやらすな】
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人類が誕生した時にはもちろん民族などと言うものはなかったハズだ。
人種という言い方であれば身体的な特徴からあったと言えるかも知れないが。
人種とは生物学的な概念であり民族は社会学的な概念だろう。
人類は集団で生活をしていたため他の集団と遭遇した時に協力したり戦ったりという事を行ってきただろう。
他の集団を信用できないという事は自然な事だし支配下に置いた方が安心できるという事があっただろう。
強い集団が他の集団を支配していき血が混ざり部族が成立しさらに巨大化して民族が成立したと考えられる。
その内に力が拮抗する民族同士がぶつかり縄張りを確定したために民族に対応する国家というものが成立したのだろう。
現在、日本人という概念は日本国籍を持っている事とほとんど同義であろう。
日本国籍を持っている何々人という概念はほとんどないのではないか?
沖縄やアイヌなどには多少そういう意識があるのかも知れないが。
日本民族なるものが日本国家の支配民族なのでありその他の民族意識を持つ集団がいたとしても独立闘争をしない限りは自己民族を日本民族へ同化せざるを得ないだろう。
いずれにせよ民族とはこのような経過で生まれてきたものであろうし自分のアイデンティティの中の民族意識というものは他民族との支配被支配の関係を意識する事につながる。
つまり民族意識とは他民族との闘争を意識させるものなのだ。
世界平和を考える際に民族意識を制御し眠り込ませる事が課題となるだろう。
日本人の民族意識は幕末以降強化された。
これをなんとかしなければならない。
但し、他の民族にも民族意識は強固に存在するのであり全ての民族を同時に制御する事が必要だ。
日本民族が他民族に支配される事も民族対立の原因になるから。
ユダヤ教徒は宗教的な共同体として始まったと考えられるが長年の迫害によって安住の地を求める気持ちが強くイスラエル建国を始めた。国を持とうとする事でユダヤ教徒はユダヤ民族あるいはユダヤ人という宗教を超えた共同体の形成を始めた。
民族は利益共同体として発生するのでありユダヤ教徒から始まったからと言っていつまでもユダヤ教徒という概念で捉えるという事は妥当性を欠くだろう。