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(回答先: Re: 民族は人工的なもの 投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 9 月 01 日 00:22:31)
この手の争いに参加するのは本意ではないが、ワヤクチャの声が大きいので、ぷち熟女さん一票を投じておきます。
ワヤクチャさんはおそらく、「排他的民族主義」が政治家によって煽りたてられてきた、というような趣旨のことを語りたいのだと思いますが、
それを語るにあたって、「民族は人工的なもの」という大上段の主張は不適切でしょう。
まず「民族」というコトバは多義的であり、このような多義的な「民族」というコトバを限定なく使用すれば、「同一文化集団として認識される ethnic group」という「民族」を否定する趣旨だと誤解されてもしょうがない。
nationの方は通常の語感では「民族」よりは「国民」と訳されることが多いと思います。日本語の「民族」から生じるイメージは「同一文化集団として認識される ethnic group」のほうに近いと思います。
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http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/295.html
こうした日本語「民族」の多義性を、現代において露呈してきたエトノスとネーションの複雑な関係性を統一的に表現可能な言葉だとして肯定的に評価する立場もあるが、エトノスがネイションの下位区分として導入された点を重視し、両者を訳し分けるべきだとする考えもある。しかしその場合にも、民族を、どちらの語義にひきつけて定義し、新語をどちらに当てるかには、一致した見解は得られていない。したがって社会科学的な概念として民族概念を使用する場合には、それぞれの論者がいかなる意味で用いるのかを明らかにすべきだろう。その場合、単純に原語をエトノス、エスニック・グループなどと音訳して使うという立場も便宜的ではあるがしばしば見られる態度である。
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さらに、ワヤクチャ氏は「民族」と「民族意識」と「民族主義」と「排他的民族主義」とをイコールで結んでいるようです。「民族」について語っていたはずなのに、いつの間にか「民族意識というものの排他性を示しているのです」(http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/282.html)という主張に変わっています。
しかし、それらは、区別して考えるべきだと思います。たけ(tk)としては次のように使い分けるべきではないかと考えています。
「民族」は人間の集団であり(文化的集団ethnic group/政治的集団nation)、
「民族意識」は「民族」という集団への帰属意識であり(文化的集団ethnic groupへの帰属意識/政治的集団nationへの帰属意識)、通常や歴史や文化を自分とその集団とが共有しているという意識だと思います。
「民族主義」は、歴史的に形成されてきた文化的集団としての民族に価値を認める考えであり。自文化に誇りをもつべきだとする考えでしょう。(※)
「排他的民族主義」は自文化が他の民族より優越するという考えであり、さらに進むと、自集団から他民族を排除しようする考えになり、さらには他民族を絶滅させようとする考えまでも含むことになるでしょう。
単純に「民族」(=「排他的民族主義」)は悪い、と主張すれば反発を食らうのは当然です。
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※ 「国家主義(こっかしゅぎ)とは、国家を政治、社会、経済の単位として最も優先的に考える思想あるいは思想的態度。英語では"statism"ないしは"nationalism"に相当する単語であり、(一国家一民族に近い)日本ではしばしば「民族主義」と混同されるが、一方は国家、他方は民族を優先とするもので、厳密には異なるものである。(たとえば多民族国家における国家主義者と民族主義者の立場・利害は対立することが多い)」(http://ja.wikipedia.org/wiki/国家主義)。
※ 「国民を単位とした民族主義をナショナリズムという。民族主義、国民主義、国粋主義、国家主義など訳される。ただし、民族の概念自体がその所属集団によってまちまちであり、ナショナリズムとかならずしも同一ではない。複数の民族で成り立っている国家が複数民族の権利を主張する場合にはエスニシティーと呼ばれる」http://ja.wikipedia.org/wiki/民族主義)。
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