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(回答先: どちらかというと、ぷち熟女さんに同感。・・「民族」と「民族意識」と「民族主義」と「排他的民族主義」との区別が必要 投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 9 月 04 日 21:00:45)
言説の向こう側にある存在を私は生で掴もうとしている。
非言語的認識だ。
認識が言語で埋め尽くされている人には理解しにくいだろう。
私は言語や言葉で語られたものに対して基本的な不信感を持っている。
言語や言説がそのままで真実であろうハズがないからだ。
だからあらゆる言説に対して存在からの逆襲を仕掛けるのだ。
民族という存在を私は様々に想像する。
その想像によって得られたイメージによって与えられた言説を批判するのだ。
民族という意識(言葉とは意識の事だろう)がどのようにして成立したのかを考える。
そして成立した民族意識がどのような作用を人間社会に及ぼしたのかを想像する。
このような想像作業によって初めて我々は真理へと向かう事ができるだ。
言葉の定義をして言葉を区別して終わるだけではまだ何も始まってはいない。
言葉の定義とは言葉のルールにしか過ぎず、存在の解明に向けた準備運動にしか過ぎない。
明確な定義を与えられた言葉によって現実の解剖をやっていくしかない。
存在によって磨かれた言葉を使え。