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(回答先: 面白かった。基本的認識は半々だとしか言えない(鶏卵に近い)が、後半の反論には同意する。本文なし 投稿者 大魔王 日時 2006 年 9 月 03 日 00:08:02)
日本人を自称する者は日本人が過去に行った行動の責任を全て負わなければならない。
この論理こそが民族を無責任の体系から脱却させる方法だ。
しかし、この論理は決して多数派にならないだろう。
人々は民族の名において無責任な行動を取り決して責任を取らなくていいという事にメリットを見出しているからだ。小林よしのりの「自虐史観批判」はその典型だ。
天皇制も同じ。
天皇制もどこにも責任が存在しないシステムだ。
国民は天皇の命令に従っただけだと免罪され
天皇に対する責任追求は「しない」約束になっている。
かくて日本国民は無責任に極悪非道をやってもいいという事になる。
こんな都合がいいシステムを日本人が手放すハズがない。
私の批判に賛同してくれる人が増えれば別だが。
便利な免罪装置としての民族は維持され世界を破壊していく。
他民族に対する憎悪を増幅して。
ネット内の他民族に対する誹謗中傷は民族主義の帰結を現している。
民族に何かプラスイメージを持っている人がいたなら
民族主義と「他民族への憎悪」が一切関係が無い事を証明してくれ。
無理だろう。
この2つは不可分の1つの意識から必然的に派生する二面性に過ぎないのだから。
「私は日本人でありその事に誇りを持っている。」という意識の2通りの表れに過ぎない。