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(回答先: Re: 民族は人工的なもの 投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 9 月 01 日 00:22:31)
世界中にインターネットが行き渡り、ロシアではネオナチ犯罪が続く。インターネットがあるだけではレバノンもパレスチナもグアンダナモの収容者も救えないのだ。
ヤフーには中国語版も韓国語版もシンガポール版もカタロニア語版だってある。しかし、それが何だというのだろう。グーもグーグルもウィキペディアも各国にある。それが民族対立をなくせるのか?
ウィキペディアはフリー百科事典であるが故に日本語版ではイスラムに悪意を持っているようなサイトの紹介が見られた。イスラム教の解説を見る限りでは、ウィキペディアがイスラム圏にあったとしても、全然違う解説になっているだろう。
アマゾンドットコムは世界200カ国にあるそうだが、阿修羅で紹介されている本は「嫌韓流」のような右派・民族主義の本が多いように思う。やはり、アマゾンドットコムといえども、各国で紹介される本の内容は国によって全然違う訳だ。
インターネットといっても、我々日本人が目にする情報は日本中心になる。そして、中国では中国中心、韓国では韓国、台湾では台湾が中心となるので、各国では全然違う情報が入手されているのだろう。米日中露仏といった大国を含む世界のどの国民も世界の情報の一部しか入手できていない。東京からブエノスアイレスまで完全に同じ情報が行き渡っている訳ではないのだ。他の地域の国民には知らないローカルな情報がいっぱい出回っている訳だ。どこの国民に生まれても世界の現実の一部しか知ることができない。基本はやっぱり自国の言語を中心とするナショナルネットなのだ。
>何とまあ、この方の荒涼とした精神的貧しさ。
>この方にとっては、民族とは闘争を通してしか考察され得ないものなんですねえ。
>自然も風土も無視。
>人間の習慣というものは生息領域の自然環境こそが決して来たものですよ。
>資源の高度な加工というものがまだ出来なかった時代は、石を拾い、木や植物繊維を>採集して工夫して使ったのです。
>その土地で採れるものが文化を生んだのです。
当然でしょう。民族の持つ意味というのは場所によって異なるので、一概に民族意識を否定するのも間違いかと思います。民族独自の文化を尊重することは大事だと思います。
ただ、素朴な部族意識の単なる延長に19世紀以後の汎民族意識がある訳ではない。そこを意図的に無視してはいけないと思うのですね。石器時代からの単純な延長の意識だけで国民をまとめることはできない。
日本でも欧州でも言語が標準語を中心にまとまるようになったのは19世紀頃であり、それまでは非常に方言がキツかった。石器時代の生活圏を基準に考えるなら、日本列島ですら広いとも、狭いともいえます。必ずしも現在の国民国家と生活圏が一致している訳ではない。例えば千島列島の内、南端の四島だけが日本領である根拠は何か?19世紀半ばのロシアとの条約によるものです。もちろん、千島四島だって、竹島だって、尖閣諸島だって日本人の生活に関わる領土ではあるが、沖縄や東北地方、北海道の住民が最初から京都の王様の臣民であった訳ではない。いわんやイスラエルの国民のどれだけの割合の者が石器時代からパレスチナの土地と暮らしてきたという訳ではない。オーストラリアや新他陸の白色人種の住民に先祖の居住が石器時代まで遡れる者はいないだろう。
今の中華人民共和国の国境にも必然性というのはないのですね。ただ単に中国政府がそう主張しているに過ぎない。だから強引に「中華民族」なんて言葉を作らなきゃいけなくなる訳ですね。民族という言葉の使われ方も問題にすべきでしょう。自分のルーツを確認するためのものなら、悪いものではないと思います。