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(回答先: Re:豊かな国づくりとは??? 投稿者 はまち 日時 2004 年 5 月 22 日 04:37:47)
> 勉学はできなくとも、身に芸があるとか、その人個人の特長を生かそうとする社会が出来上がっていないことのほうが、私個人としては、教育云々以前の問題だと思います。(出た釘は打たれる的な風潮があるのがその理由です。)
教育以前の問題ではなく、それこそが教育の問題です。教育というのは、多少日本的な色に染まった状態の子供に、知識、認識力、倫理観、判断力、行動様式、習慣などを押しつける制度です。
教育制度を改善しても最初の成果が見えるのは30年後でしょう(6歳の子供が40歳くらいになったとき)。その成果が定着して社会全体が変わるのは60年後、100年後というものです。
> 勉学に励むことをよしとするあまり、そうでないものを否定的な位置に置きがちな日本においては、あたかも、勉学の結果のよしあしが、その人個人の人生をも評価しているように思えます。
これは、現在の教育が知育(それも知識偏重)に偏りすぎていることの結果です。教育は知育、徳育、体育だというように、本来は倫理観の押しつけ(徳育)も含んでいなければならないものです。倫理観の押しつけなしの教育は知的野獣しか生まなくなります。
勉学に励むことにしか価値を見いだせないというのは、判断力・倫理観の育成の失敗に失敗しているということです。社会には多種多様な人々がいて、それぞれが一定の役割を果たすことによって社会が成り立っているという知識、それを自分で認識する判断力の育成に失敗した結果です。
で、今問題になっているのは、子供たちにどういう倫理観を押しつけるのが良いか、ということです。このままの状態だと、明治以降に始まった臣民教育=お上に絶対服従の奴隷的倫理観の押しつけが始まりそうです。それがもたらす悲劇については【世相百断 第45話】(って誰が書いているんだろう?)に書いてある通りだと思います。
でも、そんなことは気にする必要がない。「反対」と言ったって、お上はやりたいようにやるだろう。しかし、心ある大人たちが、どういう教育でどういう倫理観が必要なのかを真剣に議論しはじめたら、おいそれとそれを無視するわけにはいかなくなるだろう。
で、たけ(tk)は「政治的判断力」を育てる教育が必要だと思っている。「政治的判断力」には知識、認識力、精神的な安定、社会と人々についての広い視野、思いやり、いろいろな人々(敵を含む)の精神的・物質的利益についての配慮、政策がもたらす結果についての予見能力、複数の可能な選択肢から選ぶ能力、などさまざまな能力が要求されます。
国民はちゃんとした政治的判断をするためには、その能力に加えて、判断に必要な事実が公開される事にが必要です。選挙において、誰に投票するかもひとつのの政治的判断です。会社を経営したり、社員となって働く場合にもそのような能力が必要になるでしょう。三菱自動車の欠陥隠しや、雪印食品の問題などは、その行為がもたらす破壊的結果についての予知能力がないか、適切な選択肢を選ぶ能力を持たなかったからでしょう。
* って、『大学』の受け売りですが…
* たけ(tk)には政治的判断力などないけれど、子供たちには持って欲しい。