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(回答先: Re: Re:豊かな国づくりとは??? 投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 5 月 22 日 08:41:26)
たけ(tk)さん、どうもです。
餅屋は、餅屋にまかす。というのは、だめでしょうか?できないものが、できるものに判断をゆだねるというのは、決して、逃げているのでなくて、できないものが間違った方向を後押ししてしまいわないためでもあり、肯定的に捉えられる取捨選択の一つだと思います。
>教育以前の問題ではなく、それこそが教育の問題です。教育というのは、多少日本的な色に染まった状態の子供に、知識、認識力、倫理観、判断力、行動様式、習慣などを押しつける制度です。
押し付けからは、何も育ちませんよ。言葉尻を捉えるわけでありませんが、子供に本当に思考力、認識力、倫理観、判断力、行動様式、習慣を与えれるのは、親以外いません。(投稿された項目のうち、知識を削除して、思考力にしました)
>教育制度を改善しても最初の成果が見えるのは30年後でしょう(6歳の子供が40歳くらいになったとき)。その成果が定着して社会全体が変わるのは60年後、100年後というものです。
制度にこういう能力を求められるのはどうしてですか?人間は、人間から生まれるわけで、制度でなくて、人間が社会で見せるのが、まちがいないのです。制度は作られたものであって、制度で得たものが、現実とマッチしないことが、世の常です。
>で、たけ(tk)は「政治的判断力」を育てる教育が必要だと思っている。「政治的判断力」には知識、認識力、精神的な安定、社会と人々についての広い視野、思いやり、いろいろな人々(敵を含む)の精神的・物質的利益についての配慮、政策がもたらす結果についての予見能力、複数の可能な選択肢から選ぶ能力、などさまざまな能力が要求されます。
それは、全人間には、むりです。やりもしないのにと言われそうですが、人間は、基本的に、楽が好きですから、面倒なことは、きらいです。好きなことは、面倒でもできますが、それこそ、趣味趣向で、その人の能力が発揮されるわけです。
>* たけ(tk)には政治的判断力などないけれど、子供たちには持って欲しい。
これも、いじわるみたいな屁理屈になってしまいますが、
たけ(tk)さんが、できないとご自身を決め付けられてしまっていることを、子供に望まれるのは、むりです。
あくまで、子供がそう望んだとき、初めて、力が付くものです。子供がそう望むのは、必要性を感じるからで、たけ(tk)が必要を感じても、即、つながらないと思います。まして、それを教育制度によって、育てようとするのは、もっと、無理であることがわかってもらえますか?
どんなに教育制度がよくても、失業中の両親が子供が学校に行っている間にパチンコをして過ごしていたら、子供は、どのように育つでしょうか?苦しいことに立ち向かう子供は、苦しいことに立ち向かっている親の姿をみて、実現が可能かもしれないという希望を持つから、苦労にまけない。のだと思います。
たけ(tk)の投稿にけちをつけたくて、レスをしているのでないことは、理解してください。建設的な提言は、大晦日さんのレスにつけたつもりです。