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善と悪それぞれに相当するイメージは、ひとり一人が自身の善悪基準で考えてください(笑)
【悪の序列:より悪くなる序列】
●「悪と知りながら、悪を為す。」
犯罪でもよくあるもの。
自己保身や言い逃れのためにウソを吐くのもこれに含まれる。
これは、状況を変えたり罰を与えることで減少させることができる。
殺人を含めこのような悪をなすものは“善人”だといっていい。
●「悪と知らず、悪を為す。」
子どもの態様として見られるものだが、子どもは無問題で、おとなが徐々に教えなければならないこと。
道徳や規範を冷笑する気分や価値相対主義の広がりが善悪の基準を曖昧にしていることから、おとなにもそのような態様が拡大している。
●「悪と知りながらそれを善と言い募り、悪を為す。」
知的エリート自認者に多く見られるもので、支配者層の一つの特性でもある。
これは、善であるとする説明をウソと見破ることで対抗できる。
悪を為すことに利(理)があると考えているのだからそれに利(理)がないことを理解させることで抑えることも可能なはずだが、権力という強制力を保有しているので最後はそれに頼って利の地位に居座ろうとする危険性がある。
●「悪を善だと考え、悪を為す。」
これには二つのかたちがある。
一つは、価値観の“倒錯”から生じるもので、判断と結果が合致している。
もう一つは、知的エリート自認者の“使い走り”に多く見られるもので、判断と結果が転倒する最悪のものである。
この悪に手を染める人は言ってもムダなことも多々あるので、少数派として封じ込めるしかない。
民主主義的政治は、悪と知りながらそれを善と言い募るもののコントロールにより「悪を善だと考え、悪を為す」もの同士の対立として現象しやすい。
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【善の序列】
●「善と知りながら、善を為さない。」
よくある話で無問題。
●「善と知りながら、善を為す。」
道徳的な人で、受け手はありがたく受け止めたり余計なお世話だと思う。
●「善を知りながら、悪を為して善を実現する。」
責めることができない人。
善を知りながら善を為せない状況をつくった悪人が責められるべき。
●「善と知らず、善を為す。」
多くの人はそういう善を多く為しながら生きている。
これが最善だと思う。
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【私の好きな組み合わせ】
●「悪と知りながら悪を為し、善と知らず善を為す。」