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(回答先: 善悪とは事象であり、尺度である。 投稿者 調和人 日時 2004 年 6 月 14 日 00:37:53)
調和人さん、こんばんは。
失礼な物言いになりますが、日曜日の投稿を読ませていただき、今回のやり取りはここでいったん中断して仕切り直しをしたほうがいいと思っています。
私のほうにも調和人さんの投稿内容に対する理解不足があると思っていますが、私からみると調和人さんにもそのような感じを受けます。
存在一般や自然ではなく、他者関係的存在構造における人の行為の善悪を問題にしています。
「この世界にあるものすべてのものは、生命と私は考えております。(原子・電子等と成分とその動き等)
つまり、人間の「善悪」は、本当はただの事象なのであって
それらを自分自身が把握する為に「善悪」という尺度を用いているに過ぎないと・・・。」という世界観は受け容れられるものですが、それならそのような世界観を踏まえて、人の行為はどう善悪判断される(されなければらない)のかというのが、今回のやり取りのテーマです。
>カミナリは、「善」でしょうか、「悪」でしょうか。
>豪雨は、「善」でしょうか「悪」でしょうか。
>太陽の日照りは、「善」でしょうか「悪」でしょうか。
それら自体は、今回のテーマ性においては「善」でも「悪」でもありません。
(比喩的には「善悪」いずれの表現もできますが、自然事象に善悪の判断はなじまないと思っています)
今回のテーマに結びつくとしたら、
雷の発生を阻止するための方法が見つかったとしたとき、それを実行するのは「悪」かどうかです。(避雷針を設置するのは「悪」かどうかでも同じです)
豪雨や日照りも、ある共同体の地理的条件でそれらが頻発しイヤなので、別の共同体が占めている地を奪い移住するという行動が「悪」かどうです。
私もそうしますし、勝手なお願いになりますが、もう一度スレッドの最初から読み直されることをお勧めします。