現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ35 > 1006.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: もう一度じっくり考え、仕切り直ししたほうがいいと思います。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 14 日 01:48:31)
あっしらさんおはようございます。
>私のほうにも調和人さんの投稿内容に対する理解不足があると思っていますが、私から
>みると調和人さんにもそのような感じを受けます。
実は私の方に勘違いが多々あり、非常にご迷惑をおかけしていると感じております。
特にhttp://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/1003.html(善悪は事象であり尺度である)の回答は、一連の議論の流れには関係のないもので、ふと書いてしまった事であり、書いた後にあっしらさんを困惑させるかもしれないと考えておりました。
ただ、人間の自覚として「善悪」の基になる存在価値を考えるという意味に於いては良かったのかもしれません。人間は「善悪」というものに固執し、時には善を守るため悪の行動をするものさえいるからです。それでは本末転倒のような気もしており、「善悪」の本当の意味・存在価値を知り、本来の目的に立ち戻るという意味に於いては、唐突でしたが良かったのかなと解釈し発言撤回はしなかったものです。
そして、いままでの投稿の議題となっておりますのは事象である「善悪」を我々が感知し、それを他者関係的存在構造における「善悪」という尺度で表現したその中身という段階であり、それをどのように認識しそれらを用いることで生じる結果的なものを論じており、先に進んだ議論をしているのであると私も思っております。
ただ、ここまで互いが食い違い迷走しているのは、わたしの中で「大多数の善悪」なのか「個人の主体的な善悪」なのかを常に考え、そこにプラスして「私の主観的な善悪」が混じってしまい、私の中で混乱をきたしている模様であると想像がつきます。また私が「心情」というあいまいな表現を持ち出してしまい、あっしらさんを困惑させているのではないかということも想像がつきます。
やはり「善悪」というものは、流動的・無数的・程度的・相対的な概念でありますので、どこかに基準を置いていかないかぎり、それらは個人の決め付け的な表現となり、それ故にあいまいな構成となり混乱を生じさせるものではないかという感じがしました。
あっしらさんが言われる「善悪」の他者への洗脳における現代社会の混乱も「善悪」というものが、流動的・無数的・程度的・相対的な概念ということを認識することができず、常にある種のカテゴリーみたいなものを押し付ける形が諸問題を引き起こしているのではと想像がつきます。
ですから、その辺り(明確な基準・確定)も顧慮して頂き、今後の「善悪」を定義、分析、認識して行きたいと考えておりますので、宜しくお願い致します。
この文章もあっしらさんの認識とかけ離れた私の理解不足による表現かもしれません。その際は何度も申し訳ございまさんが、またご指摘の程何卒宜しくお願いいたします。
あっしらさんはご存知ないかも知れませんが、私的には一連のやり取りに於いてものすごくインスピレーション(吸収している)が高まってきており、非常に有意義に進めさせて頂いております。
ご返信ありがとうございました。