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(回答先: 悪と善の序列 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 11 日 22:05:01)
〜〜引用
●「悪と知りながらそれを善と言い募り、悪を為す。」
知的エリート自認者に多く見られるもので、支配者層の一つの特性でもある。
これは、善であるとする説明をウソと見破ることで対抗できる。
悪を為すことに利(理)があると考えているのだからそれに利(理)がないことを理解させることで抑えることも可能なはずだが、権力という強制力を保有しているので最後はそれに頼って利の地位に居座ろうとする危険性がある。
●「悪を善だと考え、悪を為す。」
これには二つのかたちがある。
一つは、価値観の“倒錯”から生じるもので、判断と結果が合致している。
もう一つは、知的エリート自認者の“使い走り”に多く見られるもので、判断と結果が転倒する最悪のものである。
この悪に手を染める人は言ってもムダなことも多々あるので、少数派として封じ込めるしかない。
民主主義的政治は、悪と知りながらそれを善と言い募るもののコントロールにより「悪を善だと考え、悪を為す」もの同士の対立として現象しやすい。
〜〜
良くできています。
善悪という概念を共有してくださり、そのことに感謝しております。
・Refer
私の結論:もうちょっと、ミクロに見なきゃだめだし、そのわけ方に偏見があるし、そもそも善悪をぴったり2個にわける
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/960.html
投稿者: 乃依
思想信条の自由という前提の中で、悪性の知的エリート自認者とその“使い走り”を見分け、
あるいは、自分を確かめ
最前の対処をしなければならないということでしょうか。