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(回答先: 悪を知れば、善を知る必要はない。 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 12 日 17:13:42)
小魚骨さんご返信ありがとうございました。感謝の気持ち等多々ありますが、その前に小魚骨さんの投稿形式に合わせて返信させて頂きます。(違う意見のものもありますが、お互いに有益であるものと考えて投稿させて頂きますので、暖かい目で睨んでください。生意気な投稿かも知れませんが、宜しくご指摘お願い致します)
>● どうこういっても、人は悪を為すものであると思える。
>(だからこそ、どこにもどの宗教にも「禁止条項」や罰がある)
その通りだと思います。(但し宗教的な罰における悪という概念においては別次元・別視点とさせて頂きます)
>● 悪を知っているのなら、悪ではないこと(善とは限らない)を知っていることになる。
悪を知っているだけでは、悪を知っていることにならず、為すことにより初めて悪を知ると考えます。ですから善(若しくはそれに対極のもの)を知っていることにはならないと考えます。
>● 悪と知って行う悪なら、人が身を置く世界を変えることで減らすことはできるはずだ。
>(悪は為さないほうがいいという前提)
場所によって悪は変化しますので、悪は減らすことができると私も考えます。ただしこれもどの視点かによって変わってくると思います。
>● 善をことさら持ち込むと、それは思念的結論だから、悪も善と言いくるめることができることを意味し危険であ
>る。(同じ行為を言いように悪いようにも説明できることを考えただけでわかる)
その通りだと思います、善も悪も主観的なものだからです。
>● そのような性格である善をことさらあげつらうのは、不道徳な政治家が愛国心を煽るのと同じで、
>いかがわしい意図をもった連中だ。
その通りだと思います。人を支配する上等な手段・洗脳だと思います。
>● 善は善と考えて為すのではなく、感じるままに為すほうがいい。
支配されないという意味においてはその通りだと思いますが、善を善と考えて為すことも悪を知ることができ、ある意味、有意義なものだとも感じます。
さて、
「悪と知りながら悪を為し善を知り、善と知らず善を為し本当の善を知る。」を好きと言った私の説明も聞いて下さい。
●悪と善というものは主観的なものであり、万人に共通する概念ではなく、その時代・場所における大多数の善であり、大多数の悪であるという意味です。
●悪と善という尺度は無限の広がりを見せ、善と悪の間にも無限の単位が存在するものと考えます。
●宗教における「禁止条項」や「罰」は、人間が定義した「神」の裁きであり、その集団における大多数の悪であり、司法における「罰」もその国の国民の大多数の悪と考えます。
●善・悪という概念は、人間が自分を比較し、自分は何者であるかということを定義する為・知る為に作り上げたものだと考えます
●善とは自分自身の真実(叉は大多数の真実)であるもの、悪とは自分自身の真実(叉は大多数の真実)ではないものと考えます。
●悪と知りながら悪を為し、やはりその結果は悪だと知り、改めてそれに対する善を知ることになると考えます。
●善を知らずに善を為すことは、新たに善を知ることができ、より善に近い善を知ることができると考えます。
●大多数に支配されない善(悪)を為すことは、本当の自分の善(悪)を知ることができると考えます。
結果、主体的に善も悪もやはり知るべきであり、それは支配層に左右されない自分に正直な善悪の行動であるのが理想的であるとした考えです。
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>いつのどのことか明瞭ではありませんが、しゃしゃり出ていただくのは大歓迎です。
>気持ちや状況を察しないままの対応も、自分自身の常でもあると思っているので、お気になさらないでください
ありがとうございます。肩の荷がおりた気分です。ホッとしました。
>的を得たレスをしたいとは思っていますが、それとて客観的なものでありません。
>私の感応を言葉で表現したものでしかありませんが、現在の世界で必要なのは“攪拌棒”だと思っていますので、
>やり取りができると勝手に判断させていただく方には気分を害されることを承知でレスをさせてもらうつもりです。
>(迷惑な方はご遠慮なくそう言ってください)
ぜひ、ご指摘お願いいたします。私もこの掲示板というものに順応してきており、何が自分に大切か、何をここから吸収できるかを段々と知り得ることができました。それは、素直に批判を受け止めることが最も大切なことであり、必要なことであると感じております。
>的を得た嘲笑や罵倒は良き関係の現われだと思っていますので、不愉快な思いをさせてしまうと思っています
>が、こちらこそよろしくお願いします。
私も良き関係とは、相手に同調するだけでなく、間違っていると感じたときは批判しあえる関係が理想的と考えております。ただし、お互い批判に溺れず批判を客観的に分析しながら、本当の自分、真実を探求できればと考えております。
>人は旅の途中で死んでいくものだと思っています。
その通りだと思います。私は自分が旅をしているのだと気づきながら、自分にとって良い旅ができればと考えております。
私は人間は変わることができるものであり、この瞬間にも変わっていると実感しております。掲示板に投稿された時点で、それは過去の自分と定義しております。そこから学ぶものだけ学んで、良いことも悪いことも全て忘れ、それに縋り付いたり後悔したりしないようにと考えております。ですからその時の自分を真にすべて曝け出すことができ、見ていただくことができると考えております。
ですから、小魚骨さんの過去は知っているようで知らないですし、小魚骨さんの「今」だけを見つめて、投稿させて行きたいと考えております。
生意気な人間かも知れませんが、小魚骨さんから学ぶことができるのは無限にあると感じておりますので、今後とも何卒宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。