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(回答先: Re: トリビアの泉 西郷隆盛 投稿者 リーマン 日時 2004 年 1 月 08 日 01:06:45)
リーマンさん、はじめまして。
上野近くさん、貴重な文章を読ませていただき感謝に耐えません。ありがとうございます。
未亡人が嘆いたという逸話で、司馬遼太郎は、明治国家を語るといったテーマの講演かなにかを本にしたようなものの中で、未亡人は「服装」で嘆いたと書いていました。
概略次のようなことだったと思います(外地;;)なので本がなくて記憶ですが。
宿主(やどんし?)はこげなお人じゃなか〜、と未亡人は嘆いたそうですね、西郷という人は、上野の銅像でみなさんお馴染みになっているかもしれませんが、服装のきちっとした人だったそうですね、ですから前のはだけた着物姿を見た夫人はこれはちょっと、と思ったのだと思います、
とかなんとかそんな文章だったと記憶しております。どうしてそんなことを記憶しているかと言うと、私もリーマンさんがお書きになったように、顔で文句があるというのを見たかした記憶があって、あれ、服装なのかな?と、なんとなく、ひっかかっていたためです。また、偉人だ、と言っておきながら、あんな裸の大将のような(それが悪いというのではないですよ)姿を作るという意図にも、なんとなく解せないと、子供の頃銅像を見た時からなんとなくひっかかっていたというのもあります。普通、必要以上に立派に作ってあるものなのに。
未亡人は、だから、顔というのではなく、こんな風に描かれる、その意図の分裂した様(銅像を作る一方で、貶める)への拒否感諸々を表現して、しかし表現するにもまさかウィットにとんだ、なんてこともできずに、がっかりした、と表現された。一方で、その「がっかり」の意味を汲める人もまた少なからずいた、従って、エピソードは分裂であり複合であるその状況を表すものとして今に伝えられているということかと拝察いたします。なんでも残しておくもんですね。だれか必ず気がつく人がいるものです。