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(回答先: Re: トリビアの泉 西郷隆盛 投稿者 Q太郎 日時 2004 年 1 月 09 日 11:37:50)
Q太郎さんこんにちは
<イミナの漢字は「忌み名」であっているのではないでしょうか。
「ゲド戦記」というファンタジーの中にもそのような話が出てまいりますが、
それを連想しました。
日本にもあったとは知りませんでした。>
高校時代に漢文を習ったときに、人物を紹介する際には決り文句のように、「姓はなんとか、イミナはなんとか」、と紹介される文章が必ずくっついていましたよね。そのときのイミナは、漢字一文字だったような気がするんですけど。
「本名を他人に知られると、魂までとられるので教えてはいけない」、という話は、確か万葉集の第一首の中で・雄略天皇が、外で草を摘んでいる女の子に「名前教えてヨ」とナンパする場面(だと高校生は誤解する)の歌の解説でも出てくるので、日本にもずいぶん古くからあるもののようです。
因みに、この感覚は今でも日本人に残っていて、外人に「サイゴウサン、コンニチワ」と言われるのではなく、「ハーイ、タカモリ。ハワユー?」といきなり言われると、心の縄張りにいきなり踏み込まれたようないやな感じを受けることがありますが、姓ではなく、下の名前をいきなり呼ばれることは、なんだか相手の支配を受けるような気がするからでしょう。
オフィスで、山田ケイコさんという女の子が、脂ぎった中年上司から「ケイコちゃん」と呼ばれて、「セクハラだー!」と感じるのも同じ原因だと思います。
私も外人に下の名前で呼ぶことはさせません。日本人のくせにヘンリーとかジョージとか呼ばれて恥ずかしくないのかヨ、って感じです。(但し、これもなまじ偉くなっていろいろな国際組織レベルのメンバーになると逃げられなくなるようです。)
話はちょっと変わりますが、皇太子だって、イギリス留学中は「ジョン」とか「マーク」とかいう名前で呼ばれていたと思いますよ。(ナルチャンから連想すると「ニック」かな)
やっぱこれは「大和心」に照らしてみると許せないっ、て感じですよね。
<みずーみさんへ
でも、こうした語り部でさえも、
公にでる作品で詳細を語り尽くすことなく墓場まで持っていった
「真実」もあるのかなあと想像力をたくましくしたりします。
そういう話がざくざく出てくると面白いのですが。>
司馬氏は、本当は、すみちゃんや私が書いているようなことなんかは承知のうえで、あえて何も書かずに死んでいったのだと思いますよ。
これは、日本国民への裏切りだ。(知らなかったのなら許せるが、そうではないと思います)
「いやー自分は日本人に元気を出してもらうために小説を書いていたのですから、、」としゃあしゃあと言い訳するようであれば、今からでも遅くないので切腹してでも責任とってもらいたい。
事実と創作を混ぜ合わせて、日本人の多くに作品を事実だと誤解させた罪は大きい。
彼は、モンゴル語学科の出身であり、第二次大戦中は満州にいましたから、本来の彼の業務は、情報将校(俗に言えばスパイ)だったはずです。
だから、明治時代の国内外の情報戦(スパイ戦)は手にとるようにイメージできたに違いない。
(彼の出世作が忍者モノだったのは、彼が新聞記者あがりだったからというよりは、若い頃実際にそのような任務を負わされたことがあったからこそ、実感をもって忍者のことがかけたのだと思います。)
モロモロのことを彼は知っていたからこそ、肝心の倒幕にいたる経緯や明治政府設立後の数年間は敢えて書かなかったのだ、と思います。
彼がアメリカの意向に沿って小説を書いたとは思いませんが、彼のアメリカのお友達「ライシャワー(彼は親父の代からスパイ稼業)・ドナルドキーン・フランクギブニー」等は、学者が表の職業でありながら、本業は情報関係を取り扱うことを任務とした人たちばかりです。お互い「同類」はなんとなく匂いで分かるものですから、引かれるものがあったのかもしれません。
(彼らの本業が悪い職業といっているのではありませんので、念のため)