現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用7 > 373.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: トリビアの泉 西郷隆盛 投稿者 リーマン 日時 2004 年 1 月 10 日 02:24:25)
リーマンさん、みずーみさん、こんにちは。
ようやく「イミナ」の謎が解けて良かったです。
私の勘違いも正確なものに正されました。
りーまんさん wrote
因みに、この感覚は今でも日本人に残っていて、外人に「サイゴウサン、コンニチワ」と言われるのではなく、「ハーイ、タカモリ。ハワユー?」といきなり言われると、心の縄張りにいきなり踏み込まれたようないやな感じを受けることがありますが、姓ではなく、下の名前をいきなり呼ばれることは、なんだか相手の支配を受けるような気がするからでしょう。
オフィスで、山田ケイコさんという女の子が、脂ぎった中年上司から「ケイコちゃん」と呼ばれて、「セクハラだー!」と感じるのも同じ原因だと思います。
私も外人に下の名前で呼ぶことはさせません。日本人のくせにヘンリーとかジョージとか呼ばれて恥ずかしくないのかヨ、って感じです。(但し、これもなまじ偉くなっていろいろな国際組織レベルのメンバーになると逃げられなくなるようです。)
確かに下の名前で呼ばれると「馴れ馴れしいな」と感じますね。
あれは日本人特有なのでしょうか?それとも昔の感覚が残っているのかな。
そうした感覚は私たちにもありますね。御指摘はなるほどと感じています。
確かに脂ぎったオジサマが職場の女性に「〇〇ちゃん」と呼びかけているのは、
「あんたスナックじゃないんだから」と心の中でツッコミを入れたくなります。
親しさの現れとして、寛容に(あるいは戦略的に)対応されている女性もいらっしゃるようですが、そうしたオジサマはお茶でもお酒でも、女性についでもらうほうが嬉しいと思っておられそうなので、お酒の席はご一緒したくない感じです(笑)。
そういう人はそばにいて疲れるし。
りーまんさんwrote
司馬氏は、本当は、すみちゃんや私が書いているようなことなんかは承知のうえで、あえて何も書かずに死んでいったのだと思いますよ。
これは、日本国民への裏切りだ。(知らなかったのなら許せるが、そうではないと思います)
(中略)
モロモロのことを彼は知っていたからこそ、肝心の倒幕にいたる経緯や明治政府設立後の数年間は敢えて書かなかったのだ、と思います。
実は司馬さんの本は実は読んだ事がありません。
それよりは、池波正太郎氏の時代小説の方が面白くて好きでした。
あのレスを書いた時点では、司馬氏は憶測で「語らされていたのかな」と思いました。
NHKの大河ドラマなどで大変大々的にキャンペーンなどしているサマなどをみて、
一応近代史についていってみるかと思うのですが、
なんでしょう、いくら「歴史大作」と言われても、
近代史に目を向けてみようと思って目を凝らしてみても、
体内にそれが入ってこないのです。
言葉としては、ははあなるほどと思うのですが
腹の底では信じていないというか。
でもりーまんさんやすみちゃんの指摘を受けて、
その理由が何か腑に落ちた部分がありました。
先日、とある本を読んでおりましたら、
中国にも司馬姓で歴史叙述をしていた人間がいたようです。
しかしその人物もまた、
権力を補完する為の物語としての歴史を編纂する役目で、
新しい皇帝がその座についた時に、
中国の歴史を新しい権力者が「神話」するために働いたようです。
偶然なのか、
それともそれを知っていて「司馬」の名で著作活動をしておられたのか
私にはわかりませんが(本名かどうかも存じ上げませんので)、
そのような因縁みたいなものがあったのかもなと
妄想してしまいました。