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(回答先: それは司馬遷のことでは? 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 1 月 13 日 20:00:36)
まず、脱字。
「歴史を新しい権力者が「神話」するために働いた」
「歴史を新しい権力者が「神話化」するために働いた」
です。
すみちゃんは文意は汲んでくださっているものと理解しています。
こうした表現を産んだ過程として補足しておきますと、
「神話」や「ドグマ」が成立する為には、それを決して疑ってもいけないし、
それについて深く掘り下げない為の「タブー=禁忌」が必ずあるようです。
私個人はそれを「神話化」と表現することにしました。
社会学などの学問には詳しくないので、
この定義では人文学などの学際的には正確ではないかもしれません。
同様に、あまり詳しくはしりませんが、
古代中国や、中世のヨーロッパ、そして日本でも
おそらくあったであろうことに、「言論弾圧」があります。
いつの時代も必ず発禁本や焚書という行為があったように、
権力に与しない物語は抹殺されてきたと考えると、
色んな形で統治側に有利な歴史物語を編んだ人間による歴史だけが
後世に伝わっていると考えることができます。
日本でも古事記や日本書紀はそうして編まれたもの。
そう考えると、真っ先に「教科書的歴史」は役に立たなくなります。
もちろんこうした人間ばかりではないでしょうから、
当時の学者の中にも、
こうして編まれた歴史書に腹の底では従わない
人達もたくさんいたのかもしれません。
また、こうした命を皇帝から受けた人間も、
ちょっと調べたら、書かれた歴史そのものには裏づけがなく、
また特定の権威を保つ為の物語として意図的に編まれたものである
と気づかせる何かをこっそりしのばせているかもしれません。
私が本で読んだ名前が「司馬遷」だったのか、
今その本が手元にないために確かめることはできません。
「司馬遷」が歴史を改竄したのは有名な話みたいですね。
ただ、なんとなく感じたのは、
彼はそれを計算したのかしていないのか知りませんが
あえて「司馬遼太郎」を名乗り、
自分が編んだ歴史小説にも必ず裏がある事を
色んな意味で表したかったのかもしれません。
まあ、深読みし過ぎかもしれませんが、
ダブルミーニングがあったかもしれない、
という仮説を立ててみました。
リーマンさんのアンビバレンツな憤りを感じつつ、
それでもなお現在までの司馬氏の業績(あるいは洗脳)を
考慮に入れた結果導き出した結論です。
彼の手にかかってすら編む事の出来なかった歴史の流れに、
今日的な問題に繋がる本当の手がかりが隠されているかもしれません。
しつこいようですが知っていて墓まで持っていった理由には
それなりのものがあるはずです。
そうした意味では、司馬遼太郎氏は彼岸から
自分が知っていて思うように書けなかったもう一つの歴史について
誰かが気づいてくれる事を待っているのかもしれない…。
そんな夢想をしてしまいました。
だらだらすみません。それでは。