★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件10 > 438.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
Re: 今、再び神戸事件の真相を問う-----(4)「懲役13年」はパッチワークでは書けない
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/438.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 10 月 30 日 10:21:32:0iYhrg5rK5QpI

(回答先: Re: 今、再び神戸事件の真相を問う-----(4) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 10 月 30 日 10:18:07)

「懲役13年」はパッチワークでは書けない

司会: なぜ「懲役13年」のようなものをわざわざ出したのかという疑問はあるにしても、問題はあれが少年に書けるかどうかであり、その判断こそが核心だと思うのです。たとえば朝日は、少年には「直観像素質」があったからパッチワークで作れた、というように宣伝しました。そして大多数の知識人諸氏が、「ああ、そうか」ということで、一件落着にしてしまった。岩田さんのように「少年には書けない。校長の私にも書けない」とおっしゃる方はまだまだ少ない。だが、「パッチワークで作れる」と言う人は、人間の思弁力というものについてきわめて浅い理解しかもっていないことを、みずから証明していると思うのです。仮にあの文章には、「100パーセント素材があったと仮定してみたとしても、やはり中学生には書けないと私は思うのです。しかしまずは、はたしてあの文章は、あれこれの文章のつぎはぎで作ったものかどうか?

浅野: 「懲役13年」の最後に出てくるダンテの『神曲』からの引用――あれは壽岳文章さんの訳ですか?

司会: そうです。『神曲』の訳本はほかにも岩波文庫など三つくらいあるのですが、壽岳訳とは似ても似つかないくらいちがっています。そして、この壽岳訳は、私たちも神戸市内中の書店や図書館にあたって探してみたんですが、見つけるのが大変だったんです。

浅野: この壽岳文章さん訳の本、どこで手に入るんですか?

司会: 神戸市立中央図書館にだけありました。

浅野: これは今、市販はされているんですか?

司会: 市販されてはいます。でも、私たちが調べたかぎりでは、神戸の書店では置いている店はありません。

浅野: ほかの箇所はどうですか?

司会: 後ろから順々にいきますと、『神曲』の前にニーチェの引用が置かれていますが、これは当時の新聞が『ツァラトゥストラ』の中の一文だと言ったのは間違いで、実は『善悪の彼岸』なんです。『善悪の彼岸』の第四章「箴言と間奏」のなかの146節。ただし岩波文庫なんかの訳とはまったくちがいます。それからその前は、ウイリアム・マーチというアメリカの心理学者が禁酒法時代に著した『悪い種子』という本からの引用です。さらにその前にある「絶対零度の狂気」というのは、『零度の文学』を著したフランスのロラン・バルトの言葉らしいのです。これはフランス文学の専門家に教えていただきました。そして、「仮定された『脳内宇宙』の理想卿」とか「無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房」とか「死霊の如く立ちつくし」とか「虚空を見つめる魔物の目」とかは、『死霊』作家・埴谷雄高を思わせる…。「虚空」は埴谷ですが、その他の句があの超大作『死霊』の中にあるかどうか、実はまだ追跡中なのです。『「少年A」この子を生んで……』によれば、A少年の愛読書は、『笑ウせぇるすまん』とか『行け!稲中卓球部』とか『ジョジョの奇妙な冒険』とかの漫画なのだそうです。その中学生が、こんなもの読むでしょうか? 岩田さんが『校長は見た!…』という本のなかでおっしゃったように、「中学生には書けない、校長にしか書けない」。

岩田: はっはっは。「校長にも書けない」と言ったんです。

司会: さらに、冒頭のおかれているのは、「プレデター・2」というアメリカ映画の中のセリフらしい。この映画は、頭部の切断、アンテナ基地、冷凍室、透明人間など、神戸事件を思わせるシーンが随所に出てきます。そして、この映画の監修者が、やはり先ほどのロバートレスラーなのです。たしかに「懲役13年」は、その約半分は引用です。そしてまた、さらにその半分ほどはレスラーの著作およびレスラー監修の映画の中に見いだされるものなのです。「少年Aはパッチワークの天才」などと言う人もいますが、そんなことでは片づけられない。そもそもパッチワークをするにも素材が集まらない。とても不思議なんです。

浅野: そうとう不思議ですね。

司会: それに単なるパッチワークではない。一例を挙げると、冒頭の「いつの世も…同じ事の繰り返しである。止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない」は、たしかに映画の中のセリフです。ところがその後に、「時にはそれが、自分の中に住んでいることもある……」という一文を自分で挿入して「『魔物』である」につなげている。そうすることによって、元のセリフの「モンスター」を「心の中の魔物=虚無」に置き換え、先ほどの埴谷的思想につなげていく。「行き詰まりの打開は…心の改革が根本である」とつぶやきながらも、暗い虚無の深淵に沈み込んでいくニヒリストの心情を見事なまでに表現していく…。私たちがこの事件への「米中央情報局の関与」を疑うと、「まさかそんな」と言われることが多い。しかし、「懲役13年」の分析からしても、現実にこの事件の「特命班」による捜査が米国流「プロファイリングの手法」によって主導された事実からしても、また神戸事件が犯行声明文や犯人のマークなどの点で1960年代のアメリカで起きたゾディアック事件――CIAの関与が疑われながら結局迷宮入りしてしまったこの事件に似ていることからしても、さらにはこの事件が日本中を震撼させているうちに日米ガイドラインがさっさと決められたことからしても、要するにどんなルートをたどっても、同じ山のてっぺんにたどりついてしまうのです。ちなみに、このレスラーの著書『FBI心理分析官・2』の最後の章には、オウム真理教のサリン事件も出てくるんですよ。まるまる一章をさいて、詳しく書いています。

新聞を読む時は、記者の誤魔化しに気をつけろ(岩田)

神戸事件の真相究明はジャーナリストの責任(浅野)

浅野: そう、出てくる。最近この人すごくよく出てますね。

司会: サリン事件には、すごい力を入れて書いている。

浅野: たしかに、日本で大事件が起きるたびに、彼は発言している。

司会: 一方ではA少年が書いたとされる「懲役13年」の一部の文章はレスラーの本から来ており、他方この事件の捜査を指南しただけでなく「犯人像」をピタリと予言していたのも同じレスラー。このまったく無関係のはずのふたつの事態は、はたして「偶然の一致」で済ませられるものかどうか? 私たちも最初は半信半疑だったのですが、いろいろな事実を基礎に推論していくのであって、最初にある命題を仮定しそこから出発して演繹し例証しようとしているのではない。だから、少なくとも吟味に値することだと思うのです。

浅野: あの犯行声明の文章については、立花隆さんが「はっきりいって、これだけの文章を書ける人間は、大学生でもそうはいない」と言った。

司会: 私が一つ想起するのは、グリコ・森永事件です。あれも不可思議な事件でした。そしてあの時も犯行声明が出たが、あれも相当なものでした。

浅野: 僕もそういう感じがしましたね。あと朝日新聞社の銃撃事件もありましたね。

司会: これらの奇怪な事件は、証拠をつかんで現実に立証するのはとても難しいけれど、背後に何かあるんじゃないかと感じないわけにはいかない。

浅野: 何か特定の団体と関係があったんじゃないか。

岩田: まあ、私も「おかしいな」と。何か特定の団体の影みたいなものは感じるけど。要するに感じだけのことですが、う〜ん。

浅野: いま一番ひどいのは、私なんかもこの事件の報道がおかしいとか捜査がおかしいとかと言うと、すぐに「お前は何々派のシンパなんだ」と攻撃されるんですね。神戸事件について何か書くということは、特定の政治団体と関わりがあるからだと、すぐに色眼鏡で見て攻撃してくるわけですね。私が愛媛県の松山市で講演会をしてきたら、別の政治団体がやってきて妨害したり脅したりするわけですよ。ここにも今回の事件のすごい特徴がある。これまでは、刑事事件で誰が支援しようがね、狭山事件を誰が支援しようが、甲山事件を誰が支援しようが、途中で支援団体が変わろうが、日本共産党の人たちが弁護していようがそうでなかろうがね。事件そのものがおかしいのであればそれに関わることについて別に政治団体がどうこう言うことはなかったわけですよ。ところが今回の事件の場合はそれが非常に特徴的で、そういうところをみるとやはりますます政治的なことが絡んでいるのかなと…。

知識人らの無責任な発言

司会; 話を少し戻しますが、神戸事件では新聞のでたらめな報道とともに、高山文彦とか吉岡忍とかのジャーナリストや知識人たちのあまりにも無責任で底の浅い発言が目だちました。

浅野: こういう人たちがいま平気な顔をして、「個人情報保護法反対、権力の規制反対」ってやっているんですね。

司会: そうですか。まったくおかしいですね。

浅野: 神戸事件で言えば、鎌田慧さんですかね、最初から学校批判説で。いわゆるリベラルな左翼的と言われた人が、みんな少年を犯人と決めつけてね。さっき言ったように、「この事件はおかしいんじゃないか」と言うと、「おまえは何々派か」と言って排除してくる。まったく危険な状況ですね。本当に、松川事件の時の広津和郎さんみたいな方がいなくなってしまったというのが、情けないですね。

司会: ノーベル賞作家の大江健三郎氏の発言もひどかったですね。『フォーカス』がA少年の実名を顔写真付きで発表するという暴挙に出た時、彼は言った。「出すのは意味がない。あの子は特殊な子なのか、それとも普通の子なのか、これをはっきりさせないで出しても意味がないのだ」と。

浅野: インターネットでも流れましたね、いっぱい。ご両親の名前とか職業とかもね。間違えたやつも流れたらしいですね。同じ名前の人が何人かいて。

岩田: インターネットかどうかは知りませんけどね、サカキバラというのは、字が違いますけどね、実際そういう名前の人がおるわけですわ。それからA少年と同姓の家もあって、大変なことがあったらしいですね。

浅野: 私、情けないと思ったのが、『フォーカス』が出たじゃないですか、そしてそれがインターネットで転載して流された。それを大阪大学工学部の大学院の研究室でみんなでプリントアウトして貼って、喜んでいた連中がいた。「これがA少年だ」と、学生が研究室で。誰も注意しない。同志社大学でも学内競馬予想誌があるんですけど、それを貼り付けたり配ったりしたんですね、300枚ぐらい。僕がそれに気がついて、ある先生が気がついて「やめろ」って。もちろんああいう事件は怖いですけれども、それを喜ぶ、全然受けとめない、ああいうかたちで亡くなった人にたいする気持ちがないというのが、僕は情けないなって。さきほど岩田さんがおっしゃったけれど、少年犯罪がなぜ起こるのかとかはまったく考えない。それに、「凶悪犯罪だから死刑にしろ」と言う人が堂々と法律を破って、少年の実名や写真をばらまいているわけで、自分が犯罪を犯しているという意識がまったくない。不思議ですね。そこをなんとか変えないといけない。

司会: 神戸事件にかんする日本の知識人の発言は本当に無惨なものでしたね。マスコミは警察を盲信し、そのマスコミをほとんどの知識人は盲信したのですから。まさに「知識人よ、おまえもか」という感じでした。浅野さんは当時、『メディヤ・リンチ』という著書のなかで、たしか次のようなことを書かれていましたね。つまり、「『フォーカス』が顔写真を載せたことに対して、『そんなの当たり前だ。A少年の親も罰するべきだ』とか『教育改革が必要だ』とかと叫んだのは、自由主義史観のグループだ」と。神戸事件にたいしてもっとも反動的な立場をとった潮流と国家主義的教育の必要性を声高に叫ぶ潮流とは、ぴったりと一致している、と。現にあの事件が起こって以来、少年法が変えられ、教育が変えられつつある。さらに、安保も自衛隊も変わって、今では銀座に戦車がまかりとおるようになった。こういう社会的・時代的背景との関係でも、神戸事件を追及していく必要があると私は思うのです。

岩田: それはそうですね。

 次へ  前へ

日本の事件10掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。