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(回答先: Re: 今、再び神戸事件の真相を問う-----資料5 頭部は置き換えられている 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 10 月 30 日 10:37:25)
■ 資料6
「懲役13年」の謎
内なる自己を人間実存の深みにおいて凝視する「懲役13年」の埴谷雄高をも彷彿させるニヒリズムは、外なる偶像(=バモイドオキ神)を崇拝する思想とは相いれない。
懲 役 13 年
1.いつの世も・・・、同じことの繰り返しである。
止めようもないものはとめられぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う
心の独房の中・・・
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
何≠ェ見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
2.魔物は俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形を躍らせてい
るかのように俺を操る。
それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を
感じさせるのである。
とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中に」・・・
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。
3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思い
がちであるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔物は、本当に普通な彼≠フ兄弟や両親たち以上に普通
に見えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に
思わせてしまう・・・
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、
実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと、
俺たちが思い込んでしまうように。
4.今まで生きてきた中で、敵≠ニはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破壊させられそうになった敵。
しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在である
ことに気づいた。そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」
5.魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがない
よう、気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているのである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。」