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(回答先: Re: 浮かびあがった頭部切断の真相 画像3-図4 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 10 月 30 日 11:12:42)
画像3-図5 頭部は置きやすいように切断された!
頭部は置きやすいように切断された!
犯人が遺体の第二頸椎を切るというむずかしい切り方をあえてしたのは、切断した頭部を校門の前に置くことをあらかじめ考えていたからではないのか。
五月二十七日の早朝に市立友が丘中学校の校門の前で淳君の頭部を目撃した毎日新聞配達員のOさんに、私たちはあらためてきいてみた。
「(首の部分は)見えてなかった。もうすっぽんぽんよ、こっから。据え置きで置いてあるみたいな感じや。前から見ると顎だけ見えて……うしろは門扉から十五センチはなれとった」と。
元監察医の話では、これまでのバラバラ事件をみるとほとんどの場合、死体をあおむけにしてノドボトケの位置(第五〜第六頸椎の前)で切断しているという。そしてこういう切断の仕方をした場合には、ノドボトケの位置より上部の首の部分が頭部側に付くことになる。そして仮にこのような頭部を立てて置くとしたら、頸部が軟らかくて不安定となり、それは転倒してしまうにちがいない。頸部がかえって邪魔になるのだ。
しかし頸部を残さないように第二頸椎で切断すれば、頭部は安定して置くことができる。まさに「据え置き」(Oさん)の如くに。しかも図Dでしめすように、このような置き方をすれば、遺体の頭部の目線が約四十五度上方を向くことになり、校門の前を通る人々の目線とちょうどあうことになるのである。
淳君の遺体を切断したものどもは、置くであろう首の安定度と、このような目線の“効果”をねらって頸部の切断方法を決めたにちがいない。わざわざ第二頸椎をねらって切るという異様な切り方の理由は、ここにあったといえる。
これらは、遺体の口にくわえさせられた「挑戦状」で「愚鈍な警察諸君」をあざわらったこととも合致する。
死斑は語る ――凍結して切断か?
「死斑は淡紅色、通常よりも赤っぽい」「腐敗(の進行)は遅い。とくに胴体の方が遅い」――殺害三日後の淳君の遺体の死斑についても、龍野教授はこのような決定的な証言をした。
さきの元解剖学教授も龍野教授の証言について「淡紅色とはおかしいですね。死後三日目の遺体は、通常は紫色がかっています。それが事実なら、殺害直後に低温状態におかれたのですよ」とはっきりと語った。
検死の専門書をひもといてみると、通常の死斑は赤紫色または暗紫色である。けれども一酸化炭素中毒死や青酸中毒死の場合には鮮紅色となる。
また死因がどうであれ死後低温(冷温)状態におかれた場合にも紫色ではなく紅色となる。
淳君は首を絞められて殺害されたのであるから、死斑が淡紅色であるということは、死後に低温(冷温)の中におかれたということだ。五月二十四日から二十七日までタンク山に置かれていたのではない。冷温装置の中か大量のドライアイスの中に置かれていたのだ。「腐敗の進行が遅い」こともこのためであったのだ。
「通常は内臓のある胴体部の方が腐敗は早い」(元監察医)にもかかわらず、それとは逆に、頭部の方が腐敗が早かったのは、頭部を胴体よりも先に解凍したからにちがいないのである。
頭部を切断しやすくするために凍結した
「凍結標本のように遺体を凍結させて頸部を硬くすれば、電動丸ノコで目づまりすることなく一気に切断できる」――このような注目すべき見解を、先の元解剖学教授は明らかにした。
この見解によって、どのようにすれば切断面が「一様」になるのか、この疑問が一気に解決する。犯人は「均一性ではない」頸部を電動丸ノコを使って切るために淳君の全身を丸ごと凍結したのだ。
淡紅色の死斑の出現も腐敗の進行の遅さも、そして「淳君の頭髪がシャワーを浴びたように、びっしょりぬれていた」(「産経新聞」六月二十三日)ことも(解凍直後の状態であることをしめす)、また頸部切断であるにもかかわらず淳君の着衣に血痕がないことも(凍結切断のゆえに出血がほとんどない)、すべての謎が氷解するではないか。
さらに五月二十四日午後に淳君を殺害してから二十七日に正門前に頭部を置くまでの三日間という時間も、殺害→凍結→遺体の切断→解凍に時間を要したからだと思われる。
以上、惨殺された淳君の頸部の切断面を専門家の数々の決定的証言にもとづいてつぶさに検討してきた。そうすることによって事件の真相の核心部分〔どのような人間が、何のために、どこで、何を使って、いかに淳君の頸部を切断したのか〕が、はっきりと浮かびあがってきた。報道されているA少年の「自供」内容は、まったく虚偽のストーリーでしかないのである。