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(回答先: Re: 今、再び神戸事件の真相を問う-----(4)「懲役13年」はパッチワークでは書けない 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 10 月 30 日 10:21:32)
マスコミ・ジャーナリストへの提言
浅野: では最後に…以前にもうちの学生が岩田さんに聞いているんですけど、やはりジャーナリズムのありかたというか、とくに朝日新聞を中心にした日本のジャーナリズムの主流派、エリート層の記者たちと新聞社・テレビ局に望むことは何か。これについて岩田さん、最後にお話していただければ。
岩田: それはね、いっぱいあるんです。実はね、『校長は見た! 酒鬼薔薇事件の「深層」』という本を書いた時に、マスコミへの提言みたいなこと、マスコミ撃退法をいっぱい書いたんです。本に載ったのはその一部分だけですけど、実例をあげながら、こんな時にこんなことがあったから、私はこうしたというような書き方で、いっぱい書いとったんですわ。たとえば、記事に主語がない。新聞記者は、要するに良い文章にするために省略したと言うんですけど、私に言わせると、誤魔化すために主語を省いとる。読者にこれは警察から取材したんだなと思わせるために、警察官が何々と言っていると書くべきところを、「…という」としてしまっとる。主語は何もなければ、こんな話やったらたぶん警察官がしゃべったことやろうなと、読者に思わせるように書いとる。しかし実際は、記者が自分の頭のなかで作ったこととか、単なる噂とかを書いている。そういう主語のない文章は書くな、と。逆に言うたら、新聞を読む時には、主語のない文章には気をつけろ、と。こういうような書き方でね。文章の実例を挙げながら、いろいろ書いたんです。600枚くらいの原稿やったんです。
司会: 600枚とは、すごいですね。
岩田: さらに、例えばね、まったく意味のない表現がある。「少年が体罰について供述していることが、三十日にわかった」。これが一日の朝刊に出ているわけです。しかし、「三十日にわかったということに何の意味があるんや、と。「三十日にわかったということは、もしもそれが事実だとしても、新聞記者が三十日に聞いたということなんですよね。「三十日に供述した」というのなら、まだその意味はあるんです。しかし、「わかった」と書くことの意味はなんやと。
司会: NHKも今はそんな表現ばかりですね。
岩田: 新聞社がわかった日を書いたって、そんなことは社会的に何の意味もない。これを読者向けに言うと、「何日にわかった」と書いとるのは、怪しい記事や。それをさもさも正確であるかのように見せかけるために、三十日という日付を書いとんのや、と。実際三十日にわかったということには、何も意味はない。一日の新聞に書くんやから、わかったのはそれ以前のいつかであるということは、誰にでもわかることですよね。だから、こういう意味のないことは書くな、と。
司会: そうですね。
岩田: だから逆に言うと、こういう記事は注意しておかないけませんよ、と。もちろん取材面にしたってね、おかしなことがいっぱいあるわけですよ。夜中にピンポンピンポン鳴らして、これはもう社会的な常識はずれやないかと。「夜討ち、朝駆け」いうような言葉もありますけど、そんなことは美徳でもなんでもない、要するに新聞社の都合だけの勝手やないか、と。まあそんなことも、言い出せばきりがないほどあるんです。自分が体験したことで具体的に例をあげれば、そういうことがいま言った以外にもいっぱいあります。
浅野: 神戸事件で言えば、本当は何があったのか、その真相の究明ということは、ジャーナリストがやるべきことですよね。それを、あれだけ報道しておきながら、あやふやなままはないだろう…。
岩田: 言い出したんやから、最後まで何か言わんかい、と。
浅野: 責任とらないかん、と。
岩田: 簡単に言うたら、そういうことです。
司会; 本日は、長時間の対談、どうもありがとうございました。
/E