現在地 HOME > 掲示板 > 議論15 > 789.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: レス2:「開かれた地域共同体」についての粗雑なイメージ 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 16 日 00:06:16)
あっしら様、今晩は。
> 貨幣は人と人のあいだの交換を媒介するものでしかなく、それ自体に力があるわけではありません。
> 「開かれた地域共同体」でも、多くの人を結集させ(でき)れば大資本になります。
“多くの人を結集させ(でき)れば”の部分は、具体的な方法がイメージ湧きません。
貨幣と言うのは、それなりに便利な道具です(吉本隆明に言わせれば「人類の無意識の作り出した傑作」だったかな)。
利子取得(と退蔵)さえ禁じれば、貨幣と言う仕組みは「開かれた地域共同体」でも生き残ってもいいのではないでしょうか?
おそらく、その時、あっしら様によれば「貨幣は労働証書(活動証書でしたっけ?)と本質的に変わらなくなる」
のでしたよね。
あっしら様のイメージでは、大資本を必要とする集積産業を実現するにはこの「労働証書(活動証書)」の活用だけで十分なのでしょうか?
私は、あっしら様が利子取得の害毒の面を強調されるあまり、貨幣の持つ退蔵性(蓄えて量的に収蔵できること)をも否定されるのは正直いかがなものかと思います。
貨幣を退蔵して大資本を形成する・・・そのメカニズムは人類の知恵の内に入らないのでしょうか?
私は、直感ですが、貨幣はやはり生き残ると思います。
ですから、考えるべきは「どのように貨幣を設計しなおすか?」であって、今こそ経済テクノクラートの出番だと思います。
拙論、失礼しました。