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(回答先: Re: もう少し建設的な考え方はないでしょうか。 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 8 月 17 日 07:19:52)
みなさん、こんばんわ。
記事を読みました。宮崎さんの言っていることは、なるほどではありますが、現実では今のところ通用しないと思います。例えば荒川修作の養老天命逆天地と臨海副都心の提案が引き合いに出されていましたが、確かに養老天命逆天地は実際に行ってみて面白い。だが、毎日がこれでも困るわけだし、これが巨大になったような臨海副都心の提案はビビットではあるが、これを現実の空間に置き換えればたちまち、宮崎氏の意図しない問題が起こることでしょう。それは、(救急車を呼べば済むようなものではなく)平衡感覚を養うためのものであるまえに、不必要に不安定にさせることや、不安定という均質空間をつくることが新たなオートマチズムを所詮は生んでしまうことだと思います。これは所詮話題にしか過ぎません。しかし、
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建設的な考え方ですが、匿名希望さんは、どんな考え方をもっていますか。この掲示版に公表してください。
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これには同意。宮崎さんに全面的に同意するつもりもありませんが、彼のもつ何パーセントかでも現実の政策の中に「人間の生きる意志」を感じることが出来れば、国民も納得する部分が出来るのではないでしょうか。(概してこれまでの政府機関は国民に対するプレゼンテーションが下手すぎると言うこともありますし。)
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本質的には、「毒を以って毒を制する」すなわち、問題点の分かった官僚自身がメスを揮う以外にないでしょう(マスコミや審議会の連中では本当のところが分かっていません)。お手盛りと言われないようドラスティックにやるには、まず革新官僚の少数精鋭部隊を揃える必要があります。組織よりも今後の国の行く末を拠り強く案じている官僚達は少なからずおります。
この部隊を率いるのは勿論政治家達ですが、彼らに国民へのアピールをしっかりやってもらう必要がある。我々が直接国民と結びつくのは原理上無理ですから。そうやって既得権益や社会的制度的イナーシャを一気に突き崩して行く必要があります。動き出したらこの国はどんどん行きますよ。
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どういう視点から何を問題点と理解しているの?ドンドンて何?どんどん何処へ向かい、行き着く先はまたバブル?それとも、過去の高度成長期と同じ状況?
こんな事を踏まえて、感じたている事を政策に従事する方だと捉えて、少し意見します。例えば匿名希望さんの考える政策や行動がある程度実現したら、どうなるというのでしょう?
「破産」のところでも、匿名希望さんとあっしらさんとのやりとりを拝読しました。あまり難しいことはわからないのですが、匿名希望さんのお話は非常に明瞭に見えるが、解釈と手法を中心としていて実は何を目指しているのかがハッキリ言って良くわかりませんでした。この「何を目指して」というのは具体的な行動と言うことではなく、ビジョンと言うことです。(とはいうものの、「破産」での議論が進むうちに多少言葉の端々に、ビジョンが垣間見えてきたような気もします。しかし、積極的な発言ではまだみられない。匿名希望さんもビジョンという言葉を使われていますが、すこし私が言うビジョンとはずれがあるように感じます。)
このビジョンがなければ、どんなすばらしい手段をもって実行しても、あるいは実行できようが出来まいが、なにをやっても言い逃れできるわけだし、何が最終的に達成されるのかわかりません。そしてまた、それが数字で表されても全く無意味です。数字は極めて抽象的で我々の生活意識とは何ら具体的関連をもちません。
我々は今あるいはこれから、どんな生活を理想とするのでしょう?はたして経済大国であることが私たちの幸せを生んだのでしょうか?あるいは生むのでしょうか?もし仮に景気が良くなって、お金が還流しても食糧自給率がさらに下降していったとしたらやっぱり不安になりませんか?それとも食い物が自前じゃなくても楽観的になれますか?
政策論(手法論)だけで展開できる国など本来アメリカ以外にはないと思います。(世界でナンバーワンっていう分かり安ーいコンセプトがあるからだと思う。)
例えば、私はムーディーズがどんな格付けをしようが、極端に言って、どうでもイイと思っています。(というかこれにクレームを付けること自体があまりに浅はかで、自分たちの実体のなさを露呈しているように思います。(例え手段として用いたとしてもこの真意は全くわからない。)二流三流の経済国でもそれなりに(私たちにとって)旨く日本の世の中が良い形でまわっていれば良いわけです。財務を担当している方からすれば、一流を狙いたいのは山々だとは思いますが、やはり日本の地勢的なあるいは土地資本を十分に考えた落としどころというものがあるはずです。結果として一流になることがあったとしても、一流を目指す必要はありません。
その上で、どんどんやるのは結構な話だと思いますが。
また専門家とはその分野でいつも一番をねらいたいものですが、その専門性を捨てて、外へ出ていくようなジェネラルな感覚が必要だと思います。極端な話、財務の方が自分たちが本当に一流だと思うのなら、夜な夜な官庁街で頑張るのではなくて、道路が問題だったら、道路を見に行けばいい、海外援助がどうだというなら海外へ行けばいい。他省から謁見だと言われようが、理路整然とその意味が伝えられればイイと思います。そして、その議論が我々に伝わればよいのです。
無理なそうな話よしにして、話を元に戻しますが、どんな立場にいようが政策や手段には明確な目標(数量的な目標ではなく)を行政側からも国民にわかるように(政治とは別に、白書では解釈が多すぎてよくわからない。)立てる必要があるのではないでしょうか?我々が目指す豊かさとは何でしょう?電化製品を揃えることも、車をもつことも、家を持つことも、老後が安心して過ごせることも、十分な医療を受けられることも、それ以外の殆どのことがみなお金に換算できる商品になってしまいました。金さえあれば何でも出来ると思ってしまっている人も多いことでしょうし、現にある程度まではそうであることも否めません。しかし、金は手段にしか過ぎません。だから逆に金を扱う方に、この部分をハッキリと明示していただきたく思っております。「どう思って、金を動かそうとおもってんの?何を得るための手段なの?」と。
ビジョンは政治家で、それに有効な手段を考えて、施策するのが行政なんて逃げはだめですよ。三権分立なんて最近の日本では非常に消極的な責任逃れな適用ばかりでひどいものです。(中でも最悪なのが司法だと考えていますが。)積極的なそれぞれの立場からの意見を公平に分けるためにあるのであって、消極的な適用は何の益にもならないとおもいますし。やはり我々の目の前で、積極的なぶつかり合いを見せて欲しいものです。それで、三権があるんだって実感もわくってもんです。(原理上無理だと言ってしまう、その非積極的な棲み分けが、我々国民の目に見えない三権の癒着と感じていることも事実です。行政の時代だったり、政治の時代だったりして良いのではないですか?)
「建設的」と言う言葉に象徴されるように、構造主義的な論理展開だけでは多分、解釈論を積み重ねるばかりで、意味論を展開することは難しいでしょう。(ちなみに、多くの日本人の分類処理、パターン認識に卓越した方々にみられる傾向ですが、その範疇に入らないものを建設的でないと断定してしまう。「これがファンタジスタを生まない日本の教育制度の限界か」と頭の切れる人物に落胆する場面に出くわしたりもするわけですが、建設的でないものをかみ砕き構造として再構成してみるぐらいの創造力が欲しいところです。)しかし、あなたのおっしゃる建設的で合理的且つ有効な手段は、非合理性を含む意味と両輪なのではないでしょうか。「あなたはどのような生き様の中に、あなたのもつ、明晰且つ有効な手段を用いようとしているのでしょうか?」こうした問いに答えることが出来るのでしょうか?あるいは答えようとさえする事もできないのでしょうか?もちろん、それに多少答えていただけたとして、それが全てであると私は断定もしませんし、すべて語り尽くせるものでもないと思います。ただ、もしあなたが政策論を展開するなら、これが始まりであることは間違いないと思います。
そうした議論があって初めて、あなたの言う理論があるいは行動が有効かどうかの議論も出来るのではないでしょうか?そして、実際に行動された結果が、ずれたとしても、何がどのぐらいずれてどう修正しなければならないのか、やめなければならないのか進めるべきか、ということも、もっと分かり易くなるのではないでしょうか。それが手法や解釈にばかり陥らずに、我々にとって最も意味のある事になると考えます。
今のままでは、意思表示がない限り、どんなに頑張ったとしても、そしてそれが何らかの豊かさをもたらしたとしても、頑張った人(行政マンも含め)感謝されることも無いでしょう。感謝されるためにやったわけでないとしても、それはとてもつまらないことです。「労に対して、対価が払われる。」これが少なくとも今の時点での正当な一つの態度だとするならば、そうした評価されるシーンをつくることも必要だと思います。「身を粉にして、世の中のために頑張る」なんて事はありえません。正当な対価が要求することが大切です(もし文句が出ないならあなたは給料で言えばもらい過ぎなのかも知れません。査定が必要です。)。その契約に基づいて責任を持って、行政マンといえども働けるのだと思います。
ある面で行政に頼りすぎの日本人の現状を自分の仕事でも感じることがありますが、それはさておき、担当者レベルでのこのような意識を確認出来ることは、重要であると思います。(現況匿名だから確認できることかも知れませんし。)
政策に対する期待と言うことで言えばたぶん、あなたが日々向上していると、思う分だけそれに対する要求も向上しているのだとも思います。あなたがおっしゃるクレバーな政策以上に、ファンタスティックな政策が求められているのではないでしょうか?(石原都知事がうけているのは、ファタスティックに見えるところだと思います。見せかけのそれを真似する必要もありませんが。)
私の個人的な趣味としては、匿名希望さんがなんらかの意思表示とそれに纏わる政策を記事にしていただいて、蓮見重彦ばりに、マガジンハウス社「アンアン」あたりで「お金に目が眩んで」なんてタイトルで連載していただけるとファンタスティックです。(冗談です。)
一方的な問いただしで、失礼だとは思いますが、私のようなものの問いも、それなりの意見として聞いていただければと思います。