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(回答先: Re: 追加注:「お金に目が眩んで」 投稿者 一般人 日時 2002 年 8 月 18 日 20:48:20)
蓮見重彦氏まで持ち出せる貴殿の知的空腹は、100万言を費やしても満たす自信はありません。
ただ、貴殿の言われる「情念」を私なりに開陳すると、「日本はパックス・ジャポニカの実現を目指すべきである。その中心的役割を担うのは官僚である。」という随分傲慢な物言いになります。
明示維新以来、良きにつけ悪しきにつけこの国は官僚を中心にして動いてきました。例外的に指導力のある政治家が国をリードしたこともありましたが、大半は政治家の振り付けを官僚が考え、それでうまく進んできました。なぜ、政治家やマスコミや学者でなく、官僚に日本の将来を託すのが合理的なのでしょうか。あらゆる面における能力の高さもその一つの理由でしょう(この点、謙遜するつもりはありません)。しかし、それにも増して重要なことは、民意や他の情勢にもぶれることなく、一貫した立場を維持できる制度的基盤があるためです。これが無くなると日本の背骨が崩壊します。
私を含め、かつての上級職を一桁台の順位で通過してきた者は、例外なく上記のような統治者としての意識を有しています。そしてたまたま生れ落ちたこの祖国を繁栄に導かなければならないという強い使命感を持っています。この点、「努力には対価を求める」そこいらのガリ勉秀才と一緒にされては困るのです。
パックス・ジャポニカがどのようなものか、詳述するには紙面と時間の制約があるので、ごく簡単に言います。一つは、それが日本の歴史と伝統に連なるもので、尚且つ諸外国との間に齟齬を来さない西欧流社会システムの範疇にあるというものです(当たり前のことに見えますが重要です)。従って近代経済学的な意味での成長志向は自明の善となりますから、成長そのものを疑ったり、別の幸福のパラダイムを考えたりはしません(そういう社会思想上又は宗教上の考察が無意味だと言っているのではありません)。また、日本の文化と不可分なことからも分かるとおり、これは覇権主義的な考え方から生まれた思考ではなく、むしろ多極的世界繁栄を前提としています。つまり、世に実現されたパックス・ジャポニカのあり方を他国には強要しないということです。。。。。やはり、簡略にまとめるのは無理でしたね。これでは何も言っていないのとほとんど変わりない。
いずれにせよ、現況はパックスどころか、国家崩壊の毒牙に冒されつつあり、ようやく国民諸氏がそのことの深刻さに気付きはじめた段階です。我々が正しいと信じる道に国民を付き従わせる、そのことが如何に大きな混乱をもたらそうとも、その正しさは歴史が証明する、そういうつもりで仕事をしております。無論、民主主義の枠組みというか制限をわきまえつつですが。
公的組織の改革について、これも簡単に記載しておきます。
世上、非効率・採算度外視の公務員組織をことごとく潰せ、という主張がありますが、公務員の身でありながら敢えて大胆に言うと、そこまでは正しいと断定しても良い。だが、続きがあります。新たな時代の要請である公的需要に対しては人員を増強しなければならないのです。早い話がスクラップ&ビルドということです。もっと言うと、スクラップする部分より実はビルドの部分の方が多くならなければなりません。本当は明確な青写真を示しつつここまで明確に公言しなければならないのですが、今の世論の風向きを考えるとそれは自殺行為に当ります。