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仏教を信仰している訳ではありませんが、紀元前5世紀、原始仏教を最初に説いたゴータマ・ブッダには興味があります。後世に広まった浄土宗、浄土真宗、禅宗、などの仏教と原始仏教は全くといっていいほど違うように見えますが、ただ一点、共通するものがあります。それは輪廻転生の輪から解脱し、再び現世に生まれることがないように成仏することを目的としているということです。成仏するということはあの世で仏になることであり、再び輪廻転生することのない存在となることです。 仏教では、輪廻転生が前提となっています。この輪廻の輪から解脱しない限り、人は永遠に輪廻転生を繰り返す存在とされています。人に生まれ変わるとは限りません。畜生に生まれ変われればよい方でしょう。永遠に生まれ変わるということは、永遠に「死」を繰り返すということを意味します。この永遠に死を繰り返す存在から解脱し、成仏したいとの思いから仏教に帰依するのです。ただし、この考えは現在では薄れてきたようです。しかしながら、仏教を信仰する人で、死んだらあの世で成仏したいと考える人は多いでしょう。地獄と極楽という言葉がありますが、ゴータマ・ブッダの原始仏教にはいっさい出てきません。 この世は苦に満ちていることを四苦八苦といい、そのうちの四苦とは、よく言われる生老病死です。老は老いていくことの苦しみ、病は病を得ることの苦しみ、死は死ぬことの苦しみ。生は羊水の中にいた胎児が狭い産道を通って外界に生まれてくるときの苦しみです。生を生きていくことが苦である、という意味ではありません。この世に生まれるときの苦です。このほかにもう四苦あり最初の3つは精神的なことを表し、最後の1つで、以上を要約して言えば、この世で生きること自体が苦である、といっています。 ゴータマ・ブッダは、輪廻転生を繰り返すのは無明とも言う根本的な生存欲求があるからだと言っています。根本的な生存欲求とは、生存本能と見なしても大きな違いはないと思います。根本的な生存欲求が最終的に四苦八苦の生ずる原因であり、輪廻転生の原因であるとも言っています。 ゴータマ・ブッダは、根本的な生存欲求を滅すれば最終的に輪廻転生から解脱できるとしています。そしてゴータマ・ブッダは、根本的な生存欲求を滅する道があり、それを四聖諦(四つの聖なる真実)として具体的に述べています。原始仏教の経典「マハーヴァッガ」では、ゴータマ・ブッダは、この四聖諦を禅定においてあらゆる角度から観察することで「目覚めた人」、ブッダとなったとされます。ゴータマ・ブッダは、禅定においてあらゆる因果関係の鎖の実相を観察することで輪廻的な生存の根源的な原因が無明(根本的な生存欲求)であることを明らかにし、根本的な生存欲求を滅することで輪廻的な生存から解脱できることを明らかにし、根本的な生存欲求を滅する方法を明らかにすることで「目覚めた」人となったのです。普通の人には到底理解できない無明から始まる因縁因果の理法に「目覚めた」人という意味です。何か神秘的色合いを持つ「悟り」とは異なり、あくまでも仔細な因果の観察の結果から「目覚める」に至ったのであり、そこには何の神秘性もありません。 ここでゴータマ・ブッダは、根本的な生存欲求を滅した人となりました。つまり生きる欲望を無にしたのです。この境地では生きていたいという思いがありません。ゴータマ・ブッダは、一度は死を願いますが最終的には自らが発見した真理を世に広める布教活動を開始しました。 ゴータマ・ブッダの発見した原始仏教は、宗教というよりは哲学的な意味合いの強いものだと感じます。 |