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Re: 悟り(=諦念)を生きている間にどのように体現していくかが我々人類の共通のテーマだと考えます。
http://www.asyura2.com/09/idletalk36/msg/270.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 4 月 26 日 22:48:49: mY9T/8MdR98ug
 

(回答先: 悟り(=諦念)を生きている間にどのように体現していくかが我々人類の共通のテーマだと考えます。 投稿者 彼岸楼 日時 2009 年 4 月 26 日 03:21:18)

彼岸楼さん、こんにちは。
仏教に特徴的な考え方に、基本的にこの世は苦である、というものがあります。こうした考え方をする宗教は仏教以外には見当たらないようです。どうしたら苦である存在から離れることができるかの教えが仏教という訳です。
今では葬式や祈祷のときだけ必要な葬式仏教などどと言われていますが、こうした現状に若手の僧侶からは現実の問題解決の力になる仏教を目指そうとする動きもあると聞いています。

原始仏教でゴータマ・ブッダは、輪廻的な苦の存在から解脱し、平安を得るためのメカニズムを明らかにしていると思います。
この世は苦が満ちていること、このような苦をもたらす最終的な原因が根本的な生存欲求(無明)にあること、その根本的な生存欲求を滅ぼせば因果関係を逆にたどって輪廻的な生存という苦も滅びること、そうやって苦である輪廻的な生存を滅ぼす道があり、それは八聖道である、ことを四聖諦として明らかにした上で、八聖道という修行を説いたと理解しています。

当時のインドには多数の広く知られた思想家(教祖)がいましたが、ゴータマ・ブッダの独創性は、それまで輪廻的な苦の存在の原因が、人間のもろもろの欲望(善悪の業)だと考えられていた中にあって、さらにその奥に当人も自覚できないほど原初的・根本的な生存欲求(無明)こそが真の原因だと発見したことです。

とはいえ、私はあくまで知的興味から原始仏教について調べたのであって、人類規模の視座は持っていません。ゴータマ・ブッダの時代の原始仏教は宗教というよりは、哲学、倫理学の色彩を強く帯びており、思想家としてのゴータマ・ブッダ、として私は捉えています。

ではでは。

 

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