★阿修羅♪ > 雑談専用32 > 301.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re:日教組は話し合いの場を設けるならいつでも受けるべきだろう 投稿者 パルタ 日時 2008 年 7 月 06 日 02:34:46)
>【話し合いではなく、一方的強制と処分が行なわれてきたのだ。教師側の言い分も聞くべきだ。】
意見は間違っていません。
しかし、一方的強制に繋がったのは「都民が石原知事を、国民が自民党を選んだ」結果ですから、多数決における帰結です。
で、どのような言い分があろうと「勤務時間内の規律を乱す行為」および「職義務違反行為」さらに「拘束時間内の思想行動」は放置する訳にはいかないでしょう。
仮にKが校長という立場であったら
「私も君が代を無理に歌う必要はないとも思うのですが、県から監視のためのスパイも来るし、式典の体裁は整わないと立場上困る訳ですよ。」
「本当に申し訳ないのだけど、ここは協力してくれないかなぁ〜、私に裁量権があるなら、君が代を仰げば尊しに差し替えとかも可能なんでしょうけど、この辺は上部機関とか教育委員会からの指示でどうにもならないのです。」
「私には裁量権がないから、私を恨まれても困るのですが、式典の体裁が整わずに混乱があったりすると責任を問われるのは、私、校長の訳ですし、教頭先生にも傷が付く訳ですよ。」
「本当は、私が君が代を歌わないと突っ張れればいいのでしょうが、私にも生活があるから、処分を食らってまで突っ張ることも出来ない訳ですよ。他の先生方に対しても責任がありますし、家庭もあるから家族に対しても責任があるでしょう。」
というような事を言って説得する以外には「他に何も出来ない訳」だろうと思いますよ。
全てのシステムが階層的に「名ばかり管理職に責任を負わせ、裁量権は認めない」というように構築されているのですから、最終的に現場段階でも「職務違反を行いそうな者には処分を与えて規律の保持をする。」と言う方法論しか残らないでしょう。
つまり、現場で「テロ的反抗」をするのは、全く効果はなく、周りの人が迷惑を受けるだけという構造システムが出来ていると言う事です。
政治家を変えるか、システムを変えるしか「方法がない」のですよ。
そこに気付かないと「袋小路で庶民同士で喧嘩してるだけ」なのです。