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(回答先: Re:違うでしょ 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 06 日 23:05:34)
影の闇さん、初めまして。
そのまんま西と申します。宜しくお願い申し上げます。
まず、「シバタ氏」の私見として
【これからもずっと「世界の珍獣」として土下座外交を繰り返すのでしょうね。】
という部分がありますが、これにつきましては若干「誇張気味な表現」も
含まれているのかな、とも考えます。
私個人としては、今後日本政府が「上記の様に”揶揄されてしまう状況”」を
「出来れば見たくはない」とは思います。
【ではその日中会談で何が話し合われたのか?
角栄氏は単刀直入に蒋介石氏について尋ねます。
勿論その「評価」次第で、中台関係の将来を見通すことが出来るからです。
周恩来首相は、予想に反して、「評価する」と。
驚いて角栄氏等が尋ねると、「一貫して、外国の軍隊を置いていないから」と。
この時点で、日本側は確信したのです。
中国が掲げるイデオロギーは「民族独立」の便法に過ぎず、「台湾侵攻」も100%有り得ない、安全保障上の懸念は無い、と。
百年以上列強の植民地支配に苦んだ中国は、例えどのような大義名分であろうとも、他国の軍隊が居続けることの意味を肌身に沁みて知らされていたのであり、言外に、日本に対して、外国の軍隊に支配されたままで「一人前」の積りですか?と問い質していたわけです。】
周恩来首相は、蒋介石氏について、「一貫して、外国の軍隊を置いていないから」という理由からこれを「評価する」ということになっています。
問題は、周恩来首相が「どのような基準で蒋介石氏を評価している」かということです。
【米中台・解かれたキッシンジャーの呪い
2002年3月18日 田中 宇
http://www.tanakanews.com/c0318china.htm
▼「台湾問題を話さなかった」というウソ
1972年のニクソン大統領の中国訪問の準備として行われたキッシンジャーと周恩来の会談は、冷戦が始まって以来初めて米中の指導者が会談したもので、米中双方にとって歴史の転換点となった会合だった。
これまでこの会談については、キッシンジャーは1979年に出版した回顧録で書いていることが歴史的な事実とされてきた。「周恩来との会談では、米中関係の基本となる認識論が話し合われた。米中間には、具体的に解決しなければならない問題がほとんどなかったため、相互信頼を醸成するための抽象的な話し合いだけで十分だったからだ。台湾問題についても、ほとんど話し合わなかった」というのが、これまで歴史的事実とされてきた。
ところが実際には、会談内容はまったく違っていた。7時間におよぶキッシンジャー・周恩来会談では、冒頭の2時間以上が「台湾問題」に費やされた。周恩来は「一つの中国の原則」を認めない限り、アメリカと外交関係を樹立することはできないと主張した。 】
つまり、周恩来首相は、蒋介石氏が軍事的に「一つの中国の原則」を認めているという観点から、同氏を「評価する」としているものと考えられます。
その意味からすれば、
【この時点で、日本側は確信したのです。
中国が掲げるイデオロギーは「民族独立」の便法に過ぎず、「台湾侵攻」も100%有り得ない、安全保障上の懸念は無い、と。】
というのは、日本側の「ミスリード」による「勝手な思い込み」ということに
なってしまうと考えます。
【百年以上列強の植民地支配に苦んだ中国は、例えどのような大義名分であろうとも、他国の軍隊が居続けることの意味を肌身に沁みて知らされていたのであり、言外に、日本に対して、外国の軍隊に支配されたままで「一人前」の積りですか?と問い質していたわけです。】
つまり周恩来首相は、日本は「独立国として」外国の軍隊に支配されたままで
「一人前」の積りですか?と問い質していたわけです。
(同首相にとっては、台湾については、始めから「中国の一部」でしかないわけですから、敢えてこのような「問い」をする必要がないという訳です。)
同首相としては、台湾と日本を「同じ基準で見てはいない」のですが、
それが日本側には伝わっていないので、このような「パースペクティブギャップ」が
生じてしまったものと考えられます。
乱筆乱文につきましては何卒お許し下さい。
今後とも宜しくお願い申し上げます。