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(回答先: 思考停止でもアホでもありません。一理も二理もあると思います。考察者Kさん、言葉に気をつけてください。 投稿者 東京音頭 日時 2007 年 4 月 02 日 12:36:31)
>東京音頭さん こんばんは
Kの表現に気を悪くしたなら謝ります。すみませんでした。m(__)m
ただ、ブリキ製の戦車で、本物の戦車と正面切って戦ったって、勝てません。
ブリキ製の戦車で勝とうとするなら、何らかの工夫が必要ですよね。
共産党はどんな工夫をしているのでしょう?
Kからすると「ほとんど工夫はしていない」と感じます。
今も昔も「共産党は、正しい(共産党の価値観において)ように見える主張を訴えているだけ」で、「この主張を受け入れないのは、受け入れない方に問題がある」と考えているのでしょう。
一回だけの敗北なら仕方がありません。しかし、同じあやまちを繰り返し、何の修正もなしに、何らの工夫の跡も見えないで、「よく考えているなあぁ〜、狡猾だなぁ〜」とは評価できないでしょう。
「思考停止」を批判するなら、共産党の「思考停止」ではない工夫を論証するか
同じあやまちは繰り返していないという論証が必要でしょう。
この「思考停止」は党ではなく、佐藤巧さんに向けられた物で、Kは誤魔化していると思いますか?
「思考停止」の政党の「背中を押す」のは、なんと表現するのが妥当でしょうか?
「思考停止」であると、指摘してやらなければ、どうにもならないだろうと思います。
それによって「恨みを持つのか?」「気づきを得るのか?」は、その人次第でしょう。
Kは、見込みのない人に「思考停止」など指摘してやる気はありません。
見込みのない人に「罵倒表現」をすれば、恨まれるだけで、好い事なんかありません。
無視を決め込んだ方が「楽ですし、リスクも少ない」でしょう。
「恨みを持つなら」それまでの人です。
「反論してくるのなら」議論をします。東京音頭さんの言うように【そんなKさんの意見だって、絶対に正しくはないのではありませんか。】は正当な意見です。
Kにだって、見落としもあれば、勘違いもあるでしょう。
「気づきを得て、自分を省みる」事があれば、多分、成長されるでしょう。その結果として、共産党の批判者になるか、応援者を続けるか?は別にして、新しい視点を得る事ができるだろうと思います。
いずれの場合でも、東京音頭さんが、横ヤリ応援を入れるのは「不適当」だと思います。
応援をするのが悪いと言う意味ではなく、Kの使用した「表現」に対する批判が不適切とKは感じています。
>【多くの人の欲していることは 現政権を倒すことではないでしょう。倒すか、継続か、2者選択ではありません。自分達が欲する政策を実現して欲しい、ということでしょう。】
ここは、正しい認識でしょう。
では「市民によって、共産党に託された、政策の実現」は、どうしたら良いのでしょう。
少なくとも「共産党の候補者が胸に抱いたままで、勝ち目のない選挙を繰り返していた」のでは半永久的に「実現しない」可能性は高いでしょう。
党利党略より「政策を実現させる」のが、本当の意味での「市民の味方」ではないですか?
そう言った意味で「共産党は、市民の願いより、党利党略を優先させている」でしょう。
共産党が増えるのが「先決」であるのなら、「小選挙区という制度を壊す多数派形成が急務」でしょう。
どの方向から見ても「共産党」は工夫が足りないとしか思えません。
これが、確信犯ならば「ある意味では感心」です。しかし、確信犯でない場合
東京音頭さんは「どのように表現しますか?」