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初めまして、影の闇さん。久しぶりに貴方の投稿を見られて良かったと思います。北朝鮮拉致問題の際に一人まともな内容であったのを見て以来、貴方の投稿を摘み読みしていましたから。
74年の石油ショック以降、非同盟運動の中核国が次々と表の華々しい経済発展の裏で累積債務国に転落し、債権国・世銀・IMF支配の元で国家主権を失ってゆき、78年に、それら国々の債務を原資にOECD全加盟国の経常収支が黒字に転化した頃には、シカゴ学派のマネタリズムが持て囃され、サダトとベギン、そして施しの聖女がノーベル平和賞を受賞し、米国がユネスコ批判を皮切りに国連改革を唱え、総会が骨抜きになり安保理事会の支配が確立し、レーガンとヨハネ・パウロ2世が握手していた。
それからは、ひたすら人の知性と正義が堕落の一途を辿っていく。石油カルテルによる価格革命の末、営業収益率がそれ以前の6分の1と固定された結果、資本・金融市場の投機化が進行し、まさにそれが、全ての市場差益の原資にして成長点となるに至って、今日まで世界経済は際限無き金融スキームの乱造に明け暮れて来たのだが、そのプロセスで、体制構造の変革を否定し、替わりに援助の論理が幅を利かせるにつれて、必然的に、世界規模の不均衡の拡大と、それを維持するための米国を中心とした軍事体制の肥大化を進行させてきた。かつて新国際経済秩序の希望に集った第三世界の独立精神は霞の如く消え失せ、一方で、錬金習俗に酔う一団が大多数の人類の辛酸を踏み台にして最期の宴に興じている。
第二次大戦後の植民地独立運動と並行して継続してきた西側の仕掛ける謀略戦の中でも、非同盟中立諸国の切り崩しを狙ったそれは、70年代後半からこの時期、熾烈を極め、今日に至るマスメディアを動員した大規模な情報操作の基礎を築く事になる。南北問題全てを実体の無い東西問題と反共の図式に摩り替えたが、経済を政治的イシューに形式化して見せる手法は、南アフリカのアパルトヘイト廃止の茶番劇に至るまで、大衆の最も好む嗜好品として活用され続け、未だ有効性を持ち続けている。
世界の失われた10年・・・後に80年代は、心ある人々にそう呼ばれることになるのだが、同時にそれは、政治的反動化のみならず、学問・知性と、人間精神の不可逆的転落の10年だった。70年代後半から10代、20代を通してその状況を備に見てきた私にとって、今日に至るまでの時は、苦痛以外の何物でもない。
まず、文明と世界体制の正統性を問う姿勢が無くなった。
「持続可能な発展」、後に単にサスティナビリティーと言われるようになるこの言葉は、根本を問わない体制馴化した実に愚劣な響きを持っている。概念的にも物理的にも明確な閾値を持たない時点で既に終わっているのだが、文明史の根本を問う知性に対して、既成事実の飼い犬にしかなれない者が、この教説を垂れ始める90年代以降、世界は、恰も痴呆の王国に紛れ込んだかの様相を呈している。
小才が世界の言説を埋め、大才が消えた。環境論一つとっても、有るのは、唯の体制順応論だけだ。期待形成学派から一見転向してみえる人的資源開発論は、情報格差が富の格差と言うが、資本所有の格差が、更なる資本所有の格差を産み出しているだけの、反吐の出る経済体制の単純さを隠蔽して認知症のロンドを舞っている。
ユーゴスラビア解体。これほど汚い戦争、情報戦があったろうか。その不正は、ハーグの戦犯謀殺に至るまで、「国際社会」衆目の劇場と化した。思考の形式こそが、権力から人民に下賜される最大の餌である事と、ありもしない民族紛争が外部から容易に生み出せる事の実践的証明が、未来に如何なる教訓を残したのだろうか。
と、嘆き節はこの辺で止めにして、感想なのですが、
既に多方面同時軍事展開が不可能なことが明らかになった米国に、世界の不安定性の上に君臨するだけの能力があるのでしょうか。長大な戦略を実践するだけの財政的基盤も、更に言えば自分自身の体制的安定性も無いというのが現実でしょう。半世紀に及ぶ対テロ戦を戦い抜くだけの国家体制の永続性の方が担保されていません。同盟国と数だけ水脹れしたNATO諸国を動員したところで、それら諸国の手は更に短く、寿命は今世紀前半迄で、目前です。
悪を倒すのに正義は要らない。悪は悪ゆえに滅びるというのが、私の持論なのですが、正にそれを地で行く所業に、内心ほくそ笑んでいるところです。
この体制の権力志向者らは、自画像の肥大化ゆえに世界戦略以前に自己自身の再生産条件の全体が把握出来ない。もっとも、そのために、いくつもの社会が破壊されるのは、およそ容認されるものではありませんが、既に復興しつつある先住民文化圏などの未来の中核勢力にとっては、持久戦が何よりも有効です。既に寿命の近づいた世界資本主義にとって、これからの最大の敵は時間です。未来は、先になる程、真理の手に移ってゆきます。
コロニカルな覇権思考が産み出した近代地政学は、発生した時点から、穴だらけの単線思考に過ぎません。なぜなら、圧倒的力を信じきって、階級制が本質的にねずみ講構造である事を知らず、成長の限界が自己再生産の終焉である基本にさえ気付けなかった、所詮は、煩悩幻想だからです。