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(回答先: Re: 更に質問 投稿者 影の闇 日時 2007 年 10 月 24 日 21:56:18)
ご指摘のように、イラクはイスラム主義を象徴する国ではなく、アラブ民族主義の盟主を自認して、結果として、70年代後半からの非産油国・産油国間、開発と累積債務問題(これらはユーロ・ダラーを媒介にリンクしています。)を通して分断解体過程にあった非同盟運動に代わる、被植民国家群の中核国家として自らを位置付けることで、バース党の意図を越えて、先進国支配と対峙する存在と成り得るという向きもあり、一時は、イスラエルのみならず、王制穏健派諸国にとっても、イスラム共和制とは別の新たな圧迫要因となっていました。
米国は、イラク侵攻に先立つ3年余の間、敢えて中東政策を消極的な静観政策に切り替えて、東西両陣営からの支援の元で地域大国として勃興しつつあったイラクに対する対応を画策していました。米国の不干渉政策の結果、当のイラクは、侵攻の時点まで、自らが危険視される存在である事の自覚の無いまま、軍事侵攻の口実を与えてしまったのですが、現在のイラクレジスタンスが国内勢力のみの構成ではなく、米国の国際覇権戦略の崩壊を目的とした、国際的イスラム解放運動の拠点となっている状況と、当時のバース党のイラクとは全く意味と位置付けが異なります。
バース党のアラブナショナリズムは、対イスラエル抵抗運動の民衆的・政治的結束点として機能する事をもって最大とし、かつてのナセルの様な、世界的な植民地独立運動のシンボルとなる可能性はありませんでした。あくまで、イスラエルと対峙する存在としてアピールする事でアラブ民族内での影響力を拡大する事を目的とした、域内覇権戦略上の一国功利主義的な性格と、確たる先の戦略の無いままに示威行動を取り続けるといった、イラク・バース党の低質を反映した、云わば火遊びの様相をも帯びていました。その意味で、前述の被植民国家群の中核という位置付けは、多分に誇大な虚像であったことは、当初から明らかでした。
また、前にも触れましたように、先住民文化やベーダの流れを汲む古代古典(ここにはインド、中国、ペルシャのメインカルチャーを含みます。)、ラントなどの14世紀以前の中世ヨーロッパの部族社会と共通する、階級法であるローマ法とは異なる法構造、体系的宇宙論をベースにした自然学体系といった、人間社会を起源に持たない伝統文化に普遍的な性質を共有する、特にペルシャに代表されるイスラム文化と、上記のイラク・バース党の虚像に過ぎない稚拙な覇権戦略とは、何の関係もありません。
近代ナショナリズムは、擬制としての国民国家の形成要素であって、民族主義とは別物です。ですから、例えば、ヒトラーの文化起源母体としての民族と国家を結合する国家社会主義もまた、近代ナショナリズムとは異なる地平にあります。
イメージを持って解釈するのは、必ずしも無益ではありませんが、概念輪郭が不明瞭なまま、実態とは無関係な連関をしてしまうのは、言葉遊びに過ぎず、反って、現実理解に混乱を招き入れることになります。まず、思想と文化概念、制度、時事、それぞれに対して正確な理解を積み重ねる必要があります。