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(回答先: Re: 「対テロ戦争」の意味 投稿者 影の闇 日時 2007 年 10 月 20 日 23:13:03)
ブッシュとゴアの大統領選当時、私が考えていたのは、この選挙はブッシュが勝つ(個人的にはゴアに勝って欲しいがそうはいかない)。ブッシュが大統領になって遅くとも2年以内にアフガニスタン、1年半以内にイラクに対する空爆が始まる。というものでした。
それは、アフガニスタンの「自由の戦士」の育成が、米国にとっての大きな負債となり、その処分問題に逢着せざるを得ないと、レーガン政権後期に考えていたからです。私としては父ブッシュ政権期に本来処理しなければならないのが、先延ばしになった時点で、アメリカもややこしい問題を抱えてしまったなと思っていましたが、その後に2期の民主党政権を挟んだために、共和党政権にとって最早、待った無しのノルマになっていたからです。事実、年初から米国マスメディアを挙げての反タリバン・キャンペーンが始まり、それに呼応して、仏像破壊とユネスコを動員した、例によっての「国際社会」(今や嫌な言葉)のタリバン非難と、シナリオ通りに事が進行していたので、アフガン空爆は、翌年の初頭あたりと予測していました。イラクに対してはフセイン政権を消すことは決まっていましたから共和党前政権からのやり残しです。言うなれば、現共和党政権は、レーガン、ブッシュの共和党政権時の債務の決済を強いられる立場だったわけで、イラク、アフガンの侵略、政権打倒、傀儡政権樹立と、自らが先を見通せず育成してしまったアラブ・ナショナリズムとイスラム復興(実はこの二つは南の中核)の一掃は、予定されていたわけです。それを実行するには、口実が必要なために、いつもの様に自作自演の謀略が付随してくると。ですから、これらには何の意外性もありません。17年前には予測できたことです。
それなら何故、ブッシュが勝つのかは、そうでないと辻褄が合わないからです。米国の国家体制の寿命とゴアが政権を取ることは、時間的に明らかに矛盾するからです。94年から国際資本主義体制は揺り戻しは無い終焉に向けての転落を始めており(これは200年以上前からの予定を経済変数から読んでいます。)、米国国家体制も同時に国民共和制体全体(俗に言う民主制)の寿命も決まっていますから、結果から導き出す逆算によって、反動的なブッシュが順当に勝つと。歴史が不可逆的物象化現象であることを知る物象構造理論は絶対理論ですから、結論にブレは原理的に生じません。ただ、これには、体系論ゆえに時間軸が不在ですから、時間は個体現象の観察から外挿するわけです。例えば、それは一国家であったり、一体制企業や場合によっては一権力者だったりします。これは、時間は個物の中に存在し、世界(空間)には存在しないという厳格な物理原則に則っています。
近代の延命ということになりますと、貴方の言う近代の定義は曖昧ですが、この体制の寿命は、全世界の人類社会のあらゆる事柄が隅々まで市場化、商品化して、余剰生産の限界まで続く事は決まっていますから、自給傾向が強く、労働と余剰の社会化によって市場化を抑えている社会主義体制が先に消滅することで、その寿命の針が確実に進行して、必然的に資本主義が終わるというのが道筋です。
皮肉を言えば、もし私が資本主義を司る神であるなら、何が何でも社会主義を守ります。そうすれば、自分の寿命は何時までも来ないからです。不死の身になれるというわけです。それを、東側崩壊の際に、資本主義が勝ったと言っている者がいるのですから、資本主義者というのは、つくづく馬鹿だなと呆れました。これで、確実に体制の終わりが近づいたのに愚かなものだなと。事実、市場化が進行すればするほど、社会再生産の領域が狭まり、体制は不安定化せざるを得ないのです。
86年、ヨーロッパ共同体の発足が決まった時、これで、終に、完成したと思われた欧州国民共和制の終わりが始まったな。と、判断しました。資本は再生産コスト、即ち労働賃金・環境・社会コストの低い方に移動するから資本が欲しければ、社会は、自らをダンピングするしかない、一つの資本市場の形成は、必然的に各国民国家のダンピング競争に帰結するが、ヨーロッパの事だから域内でそれらを平準化し、相互の社会的な自滅を避けようとするだろう、しかし、市場化の進行によってしか体制の延命を図る術の無いこの世界では、社会の低落は必然である。だから、社会は、労働協約のボトムラインに沈殿していく。
これは、標準的思考です。
ところが、当時、世間では、二度の大戦で互いに闘ったヨーロッパが国家主権を制限して統合を目指す。これは、理想に一歩近づいたのだ。という、目的を知らぬ哀れな論調が幅を利かせていました。いつものことですが、余りの程度の低さにうんざりしましたが、当のヨーロッパの論壇でも、EC統合がソーシャル・ダンピングを招来するのではないかと危機感を表明するのは、94年のルモンド・ディプロマティック誌の論文が初端くらいですから、いかにも遅い。社会現象として現れてから、批判するのでは手遅れです。第一、結果から言うのに何の能が必要でしょう。そんな事は、刹那に追われているジャーナリストにでもできます。
また嘆き節になってますので、続きはまた後に。これは、議論というよりも雑談ですね。気楽に書いてますので、話が飛びますけど、ご容赦ください。