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(回答先: 国民投票では、厳しい監視と、投票しない自由を求めるべきでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2006 年 10 月 22 日 19:34:33)
>「あらゆる組織票を許さない」という行動と「投票しない自由」の提唱が必要でしょう。
「あらゆる組織票を許さない」という行動は必要でしょうが、今の国民投票法案ではそうすることが実質的に不可能になっています。
また、「投票しない自由」なんてものを認めることがよいかどうか、大いに疑問です。
まずは、下記の第二東京弁護士会の意見書からの抜粋をお読みください。
(他の項目も重要ですがとりあえずここでは投票方式の問題点についての部分のみ転載します)
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http://niben.jp/13data/2006data/seimei20060907-02.htmlより一部抜粋。
4.国民の意思が反映する投票方式及び発議方式を
両案はいずれも、「国民投票に係る憲法改正案ごとに」一人に1票を付与し、憲法改正原案の発議は「内容において関連する事項ごとに区分して行う」こととしている。
しかし、憲法は、改正権者たる国民の過半数の承認によってはじめて改正しうるのであるから、国民が、提案されている個別の改正条項ごとに、賛否の意思を正確に表すことのできる機会が保障されなければならない。各自の意思を正確に表せるようにするためには、条文ごとに、場合によっては項目ごとに投票する個別投票とすることが原則であるはずである。一括で投票しなければ条項同士が相矛盾し整合性を欠いてしまうということが明らかなため、一括で賛否を問わざるをえないという技術上の現実的な問題があることは否定できない。しかし、あくまでも、国民の意思を正確に反映させるため、条文ごとに国民の賛否の意思が表示できることが原則であることが明記され、関連する複数の条項を一括して投票することが許されるのは、一括で投票しなければ条項同士が相矛盾し整合性を欠いてしまうことが明らかな場合などに限定されるべきである。
5.最低投票率の定めの必要性
与党案も、民主党案も、最低投票率を定める規定を置いておらず、憲法96条にも定めはない。しかし、最低投票率を定めない場合、例えば、投票率40%の場合に、投票者の過半数により憲法改正が承認されることとすると、投票権者の約20%のみの賛成で憲法改正がおこなわれることになり、極めて少数の国民の賛成によって根本規範たる憲法が改正されてしまうことになる。日本国憲法が、硬性憲法であるその趣旨からすると、多数の国民の積極的な改正意見が多くない場合には、これまで定着してきた憲法の改正を国民は望んでいないものと解釈し、憲法改正を承認しないものとして扱うべきであって、憲法自体には最低投票率の定めがなくとも、法律によって、憲法改正国民投票における最低投票率の定めを設けるべきであり、そうすることに何ら妨げはないものと解される。
イギリスやデンマークでは、総投票数の過半数で、かつ、全投票権者の40%以上の賛成が必要とする40%ルールが採用されている。日本国憲法においても、これらの国と同様の制度を採用するか、もしくは、憲法改正に賛成する者が投票権者のせめて3分の1以上は必要であるという常識的観点から、最低投票率を3分の2以上とするなど、憲法改正の承認には、投票数だけではなく、投票権者に占める割合の要素も加味した要件を含む規定とすべきである。
6.国民の「投票総数」の過半数の賛成を必要とすべき
憲法96条の「その過半数の賛成」の意味について、与党案は、賛成の投票の数が「有効投票の総数の2分の1」を超えた場合は、憲法改正について国民の承認があったものとするのに対し、民主党案は、賛成の投票の数が「投票総数の2分の1」を超えた場合は、憲法改正について国民の承認があったものとする。
前記のとおり、硬性憲法である日本国憲法の条項を改正するには、改正に賛成した者が、投票行動に参加した全ての者の2分の1を超えるか否かにより決すべきであり、白票や無効票を投じた者は、投票所に赴いて投票行動をしたうえで改正に積極的な賛成の意思を表示しなかったのであるから、これらの者は、過半数の分母に加え、総投票数の2分の1を超えたか否かにより決せられるべきである。
もしも、白票や無効票が多い場合に、それらの票を除外し、有効投票総数の2分の1で憲法改正の承認となるものとすれば、憲法が予定した割合に比して著しく少数の賛成によって憲法改正が実現されることを許すことになって、硬性憲法の趣旨にもとる。賛成投票数が有効投票総数の2分の1を超えたか否かではなく、少なくとも賛成投票数が総投票数の2分の1を超えたか否かにより決せられるべきである。
7.国民の意思が正しく反映される投票用紙の記載方法を
与党案は、憲法改正案に賛成するときは〇の記号を、改正案に反対するときは×の記号を投票人が自署しなければならないとする。これに対し、民主党案は、憲法改正案に賛成するときは〇の記号を、改正案に対し反対するときは何も記載をしないものとする。
改正に賛成するか否かが国民投票で投票する事項である以上、改正に賛成する者だけが○を書く投票方法が正当であって、反対に×を書かせる必要はない。投票所に赴いて白票を投じた者を無効票と取り扱うことは、有効投票を著しく少なくさせ、国民の意思をゆがめて結果に反映させようとするものであり、かつ憲法改正の承認を緩やかにしすぎるものであって、硬性憲法の趣旨から不当である。
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【heart】
以上の問題点以外に、
現時点の国民投票法案では、議席数に応じて公報の放送時間や広告回数が定められることになっている、ということがあります。これだと、改憲派の与党と民主党の広報ばかりが流れることになり、国民は正しい判断ができません。改憲に賛成する者が多く出る可能性があります。
また、仮に、9条などの改悪に反対の人であっても、上の「4」で指摘されたような、内容の似た項目については一括投票、ということになってしまうと、「こっちには賛成だけど、憲法9条改悪には反対だ・・・うーんどうしよう。ここは棄権するか!」ということになる恐れがあります。
そして、そうやって棄権者が増えると、組織票(特に創価学会票)を持つ与党・改憲派が有利になります。
それに加えて、「6」にあったように最低投票率が定められていない場合、例えば国民の60%が棄権した場合、国民の21%が改憲賛成に投票しただけで、憲法改悪が通ってしまうことになります。
ついでに、Kさんは組織票の徹底排除のために「公務員の選挙への中立」を挙げておられますが、これについては下記のような反論があります。
また、この間、憲法改悪問題について、ある国立大学の教授の話を聞きましたが、その方は、
「今私が話しているようなことは、国民投票法案が通ったらできなくなります。
その時は、職を辞するしかないと考えています。」
とおっしゃっていました。
もちろん、教授という立場を悪用して、
「改憲に反対しなければ単位をやらない」というようなことをやれば、それは問題です。
しかし、改憲についての意見も語れなくなったら、どうなるでしょうか?
学生の立場からすれば、こういうまともな先生の話を聞ける時間というのは非常に貴重であり、マスゴミが垂れ流すプロパガンダを聞いているよりはよっぽど勉強になるのです。
そうした有意義な勉強が、「公務員の選挙への中立」によって、不可能になるのです。
先生が自分の意見を言えないという状況が作られるようなことには全く賛成できません。
以下、上と同じく 第二東京弁護士会の意見書http://niben.jp/13data/2006data/seimei20060907-02.htmlより抜粋。
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(1)公務員・教育者の運動の自由は確保すべきである
憲法改正国民投票は、国の最高規範たる憲法に関して、改正権者たる国民の意思を直接的に問うものである。国民の意思をできるだけ忠実に反映するためには、憲法改正に関し、十分な情報が自由に流通し、国民の意見表明の自由や公開で議論する場と機会が実際に十分保障されることが必要不可欠である。
ところが、現在の与党案でも、公務員と教育者の地位を利用した運動が禁止されている。
しかし、そもそも、現状において公務員は法律上、罰則付きで政治活動を禁止されている。2003年に憲法9条を守ろう等と記載された政党機関誌等を配布したことを被疑事実として、2004年3月3日、厚生労働省事務官が長期間の尾行後に国家公務員法102条違反で逮捕され、在宅起訴されて2006年6月29日に東京地方裁判所で有罪判決が出されている(罰金10万円執行猶予2年)。仮に憲法改正国民投票運動については、地位利用による運動以外は制限しないと定めたとしても、憲法改正国民投票運動の中には事柄の性質上政治的な意見表明が当然に含まれるのであり、一般的な政治活動が罰則付きで制限されている現状の下においては、公務員が萎縮することなく自由に国民投票運動をすることはもともと困難である。国家・地方公務員の人数は約4百万人に及び、投票結果に大きな影響を及ぼす。そもそも、現状の公務員の政治活動の制限が広範にすぎるとの議論がある中で、現状の制限に加えてさらに公務員の地位を利用した運動を罰則付きで禁止することは、公務員の国民投票運動を著しく萎縮させるものであり、そのような制限をすべきでない。
また、与党案では、公務員にあたらない教育者についても、地位を利用して国民投票運動をすることが罰則付きで禁止されている。
「地位利用」の概念は曖昧で多様な解釈が可能であり、とりわけ、教育者の場合、自らの創意工夫で授業を行い、児童・生徒たちに知識を与え思考力をつちかうことがその職務であることから、「地位利用」という要件は、捜査当局によって恣意的に拡大解釈されるおそれがあり、このような緩やかな概念を用いて罰則付き運動制限を設けた場合、教育者による建設的な国民投票運動および教育活動を萎縮させる危険が大きい。
立法者については、例えば、当会が本年5月に開催したシンポジウムにおいては、憲法9条2項を削除する改正案が発議された時期に、憲法の平和主義の歴史的意義を授業の中で教えることは、「地位利用に当たらない」との回答が、与党の各参加者議員からなされた。しかし、罰則規定を最初に解釈適用し取り締まりを行うのは捜査当局であり、「地位利用」という概念が捜査当局によって恣意的に解釈される危険がないとはいえず、これによって教育者の建設的な国民投票運動に対する萎縮効果が生じることは必至である。
憲法の価値は普遍的なものであって、国民は不断の努力によって、これを保持しなければならないとされている(憲法12条)。それにもかかわらず、国民投票法案が発議され、憲法改正案の是非について最も議論を尽くすべき時に、運動規制の条項によって現憲法の価値を教えたり、改正案を検討する授業をしにくくなるというのはまさに背理である。
従って、このような曖昧な規定による運動制限は削除すべきである。
なお、運動主体の制限については、国民投票の実施や広報等の職務に携わる一部公務員(中央選挙管理会の委員や投票事務関係者など)を除き、制限をすべきではない。