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(回答先: 国民の「過半数」の解釈の問題をもっとクローズアップしてもいいのかもしれませんね。 投稿者 heart 日時 2006 年 10 月 23 日 00:38:36)
巧みな選挙戦術で1932年二回の選挙でナチ党は第一党の座についたが、全584議席中196議席に過ぎず、単独過半数には及ばなかった。決してヒトラーに全面的な国民の支持があったのではない。このため、シュライヒャー首相はナチ党の組織局長シュトラッサーの入閣を餌にナチ党の切り崩しを図る。ヒトラーの政権獲得は一時危ぶまれたが、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領は側近らの説得を受けてヒトラーを首相に任命し、1933年1月30日ナチ党内閣が発足した。
ナチ党の得票数の変化
日時 得票数 得票率
1928年5月20日 810,000 2.6%
1930年9月14日 6,410,000 18.3%
1932年7月31日 13,750,000 37.3%
1932年11月6日 11,740,000 33.1%
1933年3月5日 17,280,000 43.9%
[編集] 一党独裁
1933年2月に国会議事堂放火事件が起こり、これを共産党の陰謀と見なして緊急大統領令を布告、共産党幹部を逮捕した。当時の法律では国会議員の逮捕は禁じられていたが、緊急大統領令がこれを許した。さらにヒトラーは、1933年3月23日に全権委任法を国会承認させて、立法権を国会からヒトラー政権に委譲させた。これでどんな法律も好きなままに制定できることを意味する。このようにしてヒトラーは合法的な独裁体制を確立した。
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<コメント>
せめて、国民の過半数という共通認識がないと、いつでもおのような事態になるのが、ハクジン民主主義体制と言えるでしょう。