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(回答先: 少子化とは、人間社会がより不自然になっている象徴 投稿者 東京音頭 日時 2005 年 4 月 05 日 00:12:57)
東京音頭さん、こんばんは。
この社会問題板、期待してます。
>少子化とは、人間社会がより不自然になっている象徴
そうだと思いますね。
自然が破壊されているから子供を産む気になれなくなってきたのですよ。
土の無い社会に子供を送り出そうとするのか?
みたいな問題ですよ。
>http://www.asyura2.com/0502/social1/msg/105.html
>投稿者 東京音頭 日時 2005 年 4 月 05 日 00:12:57: lgPwXYAv4QVow
>少子化問題に私も非常に関心があります。
>なぜかというと、ひとつには、個人的な経験から。
さしつかえなければどのような経緯かお教えいただけませんか?
>もうひとつは、これが、単なる、人口減の問題ではなく、自然破壊の大きな象徴に見え>るからです。
そうでしょう。
環境破壊のニュースは産む気を失せさせる効果があると思います。
下水道の中で子供を産むのかみたいな事ですよ。
>人間は動物のはず。だから、交尾をし、子孫をふやし、社会を維持しようというのは、>本能のはずです。今 私達が、ここにこうして生きていられるのは、気が遠くなるほど>昔から 多くの人々が延々とこどもを産みつづけた結果でしょう。
そうですね。
そして、今、産む気が失せつつある。
人間は絶滅種になったのですよ。
>その本能が、ここまで危機に晒されてきているのです。これは、自然破壊の深刻さを示>すものに他ならないと考えます。
>自然破壊は、水を汚し、空気を汚し、たくさんの動植物が死滅させ、または、弱らせて>います。もちらん、人間も例外ではありません。個々の身体だけではなく、人が本来、>生きていく上で、欠かせない、社会、共同体というのか。こういうものもどんどん壊さ>れていますね。
生きるに値いする共同体を再生する事ができればと思うのですけどね。
それは、この阿修羅掲示板から始まると私は考えております。
そういう共同体を作ろうという運動が必要です。
>子育てが、母ひとりに負わされ、密室で行われる事自体が、この社会がいかに非人間的>になっているかのひとつの証拠であると、思います。
核家族化
ダンナの過重労働
男女役割分業ですね。
>少子化問題は、決して、人口減少で困ったから問題になるのではなく、ここまで、人間>社会が不自然になってきた、その現象をしてとらえるべきです。
はい。
>親が子を虐待するのも、不自然な、密室子育てが大きな原因で、少子化の原因と密接に>つながるし、子供は生まれた時から、集団の中で、他人と触れ合いながら育つことが、>最も大切なのに、子供が他の子供を遊ぶことが、ますます難しい社会になっています。
土が無いからですよ。
空き地も無い。
テレビゲームをするしかないでしょ?
コンビニでたむろするとか。
>子供どうしの社会がつくれない、いじめ、他人との関わりを絶つ(絶たざるをえない)> ひきこもり等も このことに、非常に関連があるのではないでしょうか。
人と付き合う事の意味を見出せないんでしょうね。
> 老人とのふれあいがない、などといいますが、老人とも、近所のお姉さんとも、お兄>さんとも、職人さんとも、幼児ともふれあいなどないでしょう。
ないない。
> 触れ合わせようと社会そのものが動いていないですから。
むしろ隔離ですね。
>この ひと と ひとを 個人単位に分断し、競争させ、お互いの関連を希薄にさせる>社会は、そういうことにより利益を生む、資本主義社会ときりはなせないと考えます。
社会の部品になっちゃっているんですね。
自分を商品として磨かなくては生きていきないという事。
で、せめて、資本の増殖を制御する事で商品としての自分から一歩脱却しようとしているんですけどね。
>資本主義の発展は、自然の生き物としての人間の生活とは、極端な言い方かもしれない>が、相反するのものと考えます。
人間が資本主義を生み出したのですよ。
自然を征服して富を築こうという発想が間違いですね。
破壊以外の何者でもなかったのです。
もうこれ以上破壊しないようにする人間が登場しないといけません。
自然征服型人間から自然に帰依する人間にならなければなりません。
> 子育てを始め、ひとを世話すること、老人介護にしろ、教育にしろ、これは、資本主>義的価値観とは、あいいれず、結果、この社会で、ひとよりも 金銭的に かなり不利>に生きなければならないかもしれない、
人の世話は無償ですからね。
無償の行為は資本主義では駆逐されます。
抵抗はしておりますけどね。
人間の中の自然が抵抗しているんでしょう。
しかし、当面は人の世話もどんどん有償になっていくと私は思いますね。
>又は、精神的、肉体的にやっていけないかもしれない、子を産み、育てるという行為を> あきらめていくことは 当然の結末であろうと考えます。
しんど過ぎるのですね。
>だから、小手先の法改正や、制度を作ってみた所で、全然歯止めがかからないのです。
社会に対する根本的な不信感の表れですからね。
>この問題は、決して、個人の生き方、考え方の多様化とか、女性の生き方の変化など、>個人のこと、趣向、生む側の問題に矮小化してはいけないと思います。
社会全体の根本的な問題です。
>では、資本主義社会を変えないと、解決しないのか。という問題になってきますが、基>本的にはそうだと思います。
しかし、どのように変えるのかという具体的プランはあまり出ていないように思われます。
「生きるに値いする社会をつくろう。」という運動が必要ですね。
これは例えばどのような町を作るのか?という問題でもあると思います。
>でも、今の社会でもやれることは、あると思います。
あると私も思います。
例えば土が見える風景を都会の真ん中に再生する事などです。
コンクリートをあえてはがす事から始めてもいいのかも知れません。
都心部から車を締め出し馬車を走らせてもいいかも知れません(ドイツでやってます)。
「便利よりも自然」を合言葉にしてもいいかも知れません。
時間を金に変えるのでは無く、時間を楽しむという事です。
これが生きているという事ではないでしょうか?
>何がやれるか、皆さんの意見も聞きながら、考えていきたいと思います。
共に考えていきましょう。