現在地 HOME > 社会問題1 > 105.html ★阿修羅♪ |
|
少子化問題に私も非常に関心があります。
なぜかというと、ひとつには、個人的な経験から。もうひとつは、これが、単なる、人口減の問題ではなく、自然破壊の大きな象徴に見えるからです。
人間の動物のはず。だから、交尾をし、子孫をふやし、社会を維持しようというのは、本能のはずです。今 私達が、ここにこうして生きていられるのは、気が遠くなるほど昔から 多くの人々が延々とこどもを産みつづけた結果でしょう。
その本能が、ここまで危機に晒されてきているのです。これは、自然破壊の深刻さを示すものに他ならないと考えます。
自然破壊は、水を汚し、空気を汚し、たくさんの動植物が死滅させ、または、弱らせています。もちらん、人間も例外ではありません。個々の身体だけではなく、人が本来、生きていく上で、欠かせない、社会、共同体というのか。こういうものもどんどん壊されていますね。
子育てが、母ひとりに負わされ、密室で行われる事自体が、この社会がいかに非人間的になっているかのひとつの証拠であると、思います。
少子化問題は、決して、人口減少で困ったから問題になるのではなく、ここまで、人間社会が不自然になってきた、その現象をしてとらえるべきです。
親が子を虐待するのも、不自然な、密室子育てが大きな原因で、少子化の原因と密接につながるし、子供は生まれた時から、集団の中で、他人と触れ合いながら育つことが、最も大切なのに、子供が他の子供を遊ぶことが、ますます難しい社会になっています。子供どうしの社会がつくれない、いじめ、他人との関わりを絶つ(絶たざるをえない) ひきこもり等も このことに、非常に関連があるのではないでしょうか。 老人とのふれあいがない、などといいますが、老人とも、近所のお姉さんとも、お兄さんとも、職人さんとも、幼児ともふれあいなどないでしょう。 触れ合わせようと社会そのものが動いていないですから。
この ひと と ひとを 個人単位に分断し、競争させ、お互いの関連を希薄にさせる社会は、そういうことにより利益を生む、資本主義社会ときりはなせないと考えます。資本主義の発展は、自然の生き物としての人間の生活とは、極端な言い方かもしれないが、相反するのものと考えます。 子育てを始め、ひとを世話すること、老人介護にしろ、教育にしろ、これは、資本主義的価値観とは、あいいれず、結果、この社会で、ひとよりも 金銭的に かなり不利に生きなければならないかもしれない、又は、精神的、肉体的にやっていけないかもしれない、子を産み、育てるという行為を あきらめていくことは 当然の結末であろうと考えます。
だから、小手先の法改正や、制度を作ってみた所で、全然歯止めがかからないのです。この問題は、決して、個人の生き方、考え方の多様化とか、女性の生き方の変化など、個人のこと、趣向、生む側の問題に矮小化してはいけないと思います。
では、資本主義社会を変えないと、解決しないのか。という問題になってきますが、基本的にはそうだと思います。でも、今の社会でもやれることは、あると思います。
何がやれるか、皆さんの意見も聞きながら、考えていきたいと思います。