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(回答先: フンコロガシとウンコする犬(「しつこいですか、私は?」) 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2005 年 2 月 05 日 21:31:52)
ジャック・どんどんさん、おはようございます。
小さい店というのは、やはり寒さに反比例してヒマ度が増大するようです。
そろそろ新しい商売の戦略を立てないと危ないだろうなと考え始めました。ヒマの方がいいんだけどなぁ。
私の実家は、太宰が高等小学校だか中学校だかの時に下宿していた布団店の近所でした。(『津軽』に出てきます)
曾祖母が生きていた頃、私が太宰の本を読んでいると
「あんな人になってしまうからやめなさい。」
と怒られたものです。
彼女は、タイムリーに“太宰と同郷”でしたから当時の常識や物の見方から、太宰を“津軽の恥”と見ていたようです。
(脱線:曾祖母の妹《なんと呼べば良いのでしょう》は晩年の宮澤賢治が雪の中裸足でお題目を唱えて歩いていたのを目撃)
(したそうで、今でも時々夢に見るのだそうです。相当強烈な印象だったのでしょうね。年寄りの話は聞いていて面白いで)
(すね。青森に来たときなのかはわかりませんが、ヒトラーユーゲントも見に行ったそうです。戦艦陸奥を熱心に観察して)
(写生までしていて怒られた大叔父の話なんかを聞いていますと、“歴史”では知りえない肉感のある知識が楽しめまして)
(「年寄り話」フリークになってしまいました。)
今太宰を読む分には、決して“背徳”は感じませんね。むしろ共感して貪るように読んでしまいますね。
言ってみればそれだけ「彼が未来の価値観を先取り」していたか「我々が彼の影響を受けたか」どちらかであろうと思います。
太宰治、カートヴォネガットジュニア、中島らも、どれも一般的に「アンダーグラウンドのすごい人」と言われる位置にある
作家だと思います。(太宰にかんしては“存命中”はそうだったのではないかと思います)
この3人に共通するのは、悲しみを含んだユーモアなのではないかと思います。
悲劇を煎じ詰めると喜劇になるような気がしますし、その逆もあるような気がします。
新宿の西口から西に向かってどんどん歩いていくと東口に着くように。(全然違いますか。)
大抵、面白い人にでくわすと「ああ、この人は面白い人なんだな」と“だけ”認識してしまいがちですが、何故面白い人なのか
考えてみる事は大事かもしれません。物凄い悲しみの反動で「面白い」人なのかもしれませんからね。
もっとも私はそうして裏を読もうとしすぎて「面白い人」に気を使いすぎて気持ち悪がられるのですけれども。
中島らも烈伝、面白そうですね。
1260円、お手軽です。私の2日半のお小遣いで買えます。
ああ、なんだか話が脱線(年寄りとか)しすぎてますけれども、「遠因」はすごく遠くても「遠因」になりうると思います。
太宰の視点なんかもきっと遠因になっていると思います。
“風が吹けば桶屋が儲かる”方式で、きっと遠因になっています。
ですから私は、あちこちで言いたい放題やってます(笑)
ではごめんなさい。