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ダブルスタンダードというか面従腹背というか使い分けというか。
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投稿者 フニャコ 日時 2005 年 2 月 13 日 14:48:39: HkLT.faSehtSA

(回答先: 賢治まんじゅう、治せんべい? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2005 年 2 月 11 日 21:36:52)


 まんまんちゃん、ジャック・どんどんさん、こんにちは。
なんだか最近、阿修羅に投稿する為に出勤してるんじゃないかと自問しつつあります。フニャコです。
きっとダメですね。この店は。


 古代中国の官僚なんかは、仮に地方の末端役場の木っ端役人であっても一応皇帝の手足ですから、儒家の決まりごとに従って仕事を
していたわけです。
 儒教は、その後の構造主義といわれている考えを先取りして、しかもそれを逆手に取っていると言ったら言い過ぎでしょうか。
 世の中の掟というか習慣、或いは法律や儀礼の段取りなんかを先にガチガチに構築しておいて、人間をその鋳型にはめ込んでしまおう
というそんな考えであると言っていいと思います。
韓非子なんかは法律ガチガチで人民を縛って、人民を統制しようとしました。
その辺が「仁義によって治めようとした儒家とは違う」と言われてますが、「鋳型にはめて」というコンセプトでは、大して違わないと
思います。

 まぁ、官僚もやはり人間ですから、職場では儀礼やなにかでクソ真面目な顔をしていながら、窮屈な思いをしているわけですよ。
今の我々とさほど変わりませんね。
それで家に帰ると、冠なんか投げ捨てて酒かっ食らって人間としての自分を楽しんでいたりするわけです。
 その辺は“竹林の七賢”なんかが解り易いと思います。
竹林で酒飲みながら、老荘の流れでああだこうだ議論したり雑談したりするわけです。
しかし彼らは官僚であって仕事中は儒家だったはずです。(なかなか出世した人たちでしたから使い分けが巧かったのでしょう)
 このような使い分けは、「官僚として」「人間として」以外にもありました。
春秋戦国時代なんかは複数の国が割拠していましたが、基本的に「みんな中国人」という認識があり、故にいったん統一されると
何事もなかったかのようにしばらく(少なくとも数十年)治っていました。

(秦帝国を覆した項羽も劉邦も、当時他の国に比べて「中国になってまもない後進地域」であった楚の出身ですから)
(「みんな中国人」意識が薄かったのもあるでしょうし、秦の苛斂誅求政策に対する反発もあったことでしょう。ま)
(た、多くを率いて事を起こす人間と一般の人民との意識の違いもあるでしょうから一概には言い切れませんけれども)


 また、自分が現世の存在であると同時に「道の一部」という認識があるようで、始皇帝を暗殺しようとした荊軻だとか、殷の紂王を
篭絡して王朝の権威を崩した妲己(あくまで一説ですが、周から使わされた工作員だったようです)などの例を挙げるまでもなく、現代
の我々から見ると、到底信じられない死にっぷりでした。
現世の「社会的な自分」に執着していてはこんな死に方はきっと出来ないに違いありません。
「正しい」のと「善い」の使い分けといいますか。

「生身の自分と社会的な自分の使い分け」に代表されるような使い分けが、昔のアジアにはあったんではないでしょうか。


 日本でも敵味方の武将が、個人的には親交があったりした事実もあるようです。(お茶会とかで)
また、元服すると名前が変わりますでしょう。あれなんかも、政や戦に晒される社会的な自分と、そうでない生身との区別ではないかと
ぼんやり思っています。
「私」という言葉には幾重にも折り重なった私がいるということでしょう。

 どうやら、現在に至ってそういった「使い分け」の出来ない人々が増えてきたように思います。
「TVゲームが青少年に悪影響を及ぼして、少年犯罪が増えているんだ」とか「ゲーム脳」だとかそんな「フニャコ以下」の妄言を
吐いている人々がいるでしょう。
それらは「人間は幾重にも使い分けをする」という認識の無い人なのだろうと思います。
もし、ゲームが原因なのならきっと元々ゲーマーである私(フニャコ)は今まで現実世界で何人も殺しているに違いありません。
(あれ、関係ない話ですか?)


 青少年が「殺す」「死ね(或いは氏ね)」などという言葉を多用するようになった事と、実際の犯罪は無関係です。
私が「あの野郎ぶっ殺す」と口走って喧嘩に行っても殺すことは無いでしょう。
基本的に、拳でグロッキーにして(と仮定して)その事実を周知の事実として、相手の面目(相手にとっての社会的な私)を「ぶっ殺す」
のであって、生命を奪うという意味ではないのです。
若者はその二重性を直感して「氏ね」などと使っていますが、残念ながらそれを理解できない大人の多い事多い事(笑)

前回投稿したものの中に「バルチック艦隊の提督を国葬レベルでやった日本人」の話を入れましたが、これはその逆で
「生命は奪ったけれども提督にとっての『社会的な私』(或いは武人の名誉)を生かした」のだと言えると思います。
 武士は常在戦場ですから、一生警戒してピリピリしている存在です。
事があった時(襲われた時など)に即対応できるようにしているわけです。そして、一度刀を抜いたら引き分けは基本的に無い存在です
ので、武士は、他の武士の大変さを理解し、敬意を払います。
命がいつも危険なので、名(社会的な私)を尊んだのでしょう。

「私」は「少なくとも二つある」と言う事を意識しなくなったのが、日本人弱体化の原因の一つではないですかね。
個人的に思いますのは、大戦直前にナショナリズムを煽ったところから徐々に変わって来て今に至るのではないでしょうか。
それまでは「制度」と「人間」、或いは「お上」と「庶民」で全く別の存在であったものが、我々の心の中で一緒になってしまったので
はないでしょうか。
仁でも義でも粋でもなく「お国」の為の存在に、我々庶民はなってしまったのではないですか。
(もっと言えば「政府=我々」でしょうか)

 その後、戦に破れて新憲法が発布されて「一緒のまま」自由と平等を謳歌しようとしたのではないでしょうか。
それで今、わけが分からない状態になっているのだろうと思います。
そもそも、制度の総体である「お国」と庶民である我々は別の存在で、ダブルスタンダードというか、面従腹背の関係というか、そんな
関係であったはずです。

 それを分離しないまま、お上の視点で、我々自身の平和で豊かで安寧な生活を確保しようというのは「どうだかなぁ」と思っています。
現に徳川幕府の初期なんかは「生かさず殺さず」であまり庶民に介入しようとはしていなかったでしょう。
高度成長期も、今のような過度の保護政策はありませんでした。
 日本の黄金期は民衆と制度の癒着の無い状態で実現したのだと思います。

 あ、そうそう。太宰グッズですが、饅頭は知りませんが羊羹なら見た事があります。
太宰の生家を改装した記念館みたいなところで斜陽館というのがあるのですが、それに引っ掛けて「斜陽羹」というのが(笑)
「お土産(観光資源)で斜陽はないだろ」と思わず突っ込んでしまう一品です。
それとは全く関係ないですが、岩手だかのお土産というか、こけしなんですけど、「出産祝い用」を見た事があります。
「それはあんまりだろう」と腹を抱えてしまいました。

 >まんまんちゃん

 きっと日本の神さんは職人気質でしょうから、壊れたら素人では修理できないと思います。

そういえば自衛隊の自動小銃なんかもやはり職人技で、不用意に分解すると技官でしか元に戻せなくなると聞いた事があります。
砂漠に持っていって大丈夫なんだろうかと心配です。
かといって素人でもなんとでもなるような大雑把な仕事でも困るんですけどね。

 三島と太宰は同属嫌悪でしょうね。
似ていると思います。あの2人。 


ああ、長文になってしまいました。知恵熱がでそうですのでこの辺で。

ごめんなさい。 

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