現在地 HOME > 昼休み5 > 233.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 七郎、賢治、由紀夫 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2005 年 2 月 10 日 21:19:29)
やぁ、ジャック。調子はどうだい。(調子に乗ってごめんなさい。もう言いません。)
最近、明治或いは明治時代の人に影響を受けた世代に関心があります。フニャコです。
宮澤賢治なんかは、私を含めた現代人なんかよりずっとぶっ飛んでいるように思います。
曾祖母の妹が、盛岡だったか花巻だったかに奉公に出された折りに、雪の中を裸足でお題目を唱えながら各家庭の玄関先で
何かを祈っている姿を見たんだそうです。幼心に不気味に感じたそうですが。
あの時代の人々は、何と言いますか“強烈”なんですよね。
新しいものを必死に取り入れたり、創り出そうとしたり、必死に模索していた感がありますね。
制度的な自由はまだ無かったのでしょうけれども、「自分をどうするのか」を試行錯誤してみる自由は今よりもあったんじゃないかと
ぼんやり思っています。
明治維新関係の内戦だとか、対外戦争二回でしょう。そりゃぁ、人間観も逞しいものになりますよね。
平和の中で育った平和主義と、戦の中で育った平和主義との違いといいますか。
西洋的な思想も入ってきていたでしょうし、その一方で「葉隠」みたいな強烈な思想もあったりでくんずほぐれつの時代だったので
しょう。
日本海海戦の時に戦死したロシアの提督を弔う為に日本で国葬したりとか。粋じゃないですか。
ここら辺に「葉隠」の影響があると思います。
それが敵であっても「死に狂ひ」を糧にして一族を養う人(ロシア人ですがそう見なして)敬意を払ったんだろうなと思います。
その流れで育ってきていた人々(高度成長期の指導者層くらいまでですかね)の支配下の日本は、今よりなかなかしっかりしていた
のではないかと感じています。彼らが去っていくのとともにおかしくなり始めたんじゃないですかね。
(本当のところわかりません。肌で感じていたわけではないので。)
私が小さかった頃の「年寄り」は今の年寄りよりも粋だったと思います。
私の曾祖母や、そのじっちゃばっちゃ友達なんかは、煙管を愛用していました。火鉢にコーンとやるわけです。
ベレー帽にループタイで「売れない画家」で押し通した無頼じいさんなんかも普通にいたりして、年寄が憧れの対象でした。
太宰治が津軽人に「非国民」と思われていたなんて事を前回書きましたが、よくよく考えてみるとその嫌い方は「たてまえ」で、本当は
受容されていたのではないかなと、思いはじめました。
他者といるときには太宰を悪く言い、一人の時は太宰を想っていたのではないかと思います。
そうでなければ、幼い私の目の前にあんな粋なじっちゃばっちゃがいたとは思えません。
外に対しては儒者、家に帰れば道家という古代中国官僚のダブルスタンダードに似ていると思います。
明治時代とその人々の奥深さは、制度と人間性のダブルスタンダードの奥深さじゃないかなと、ぼんやり思います。
アジア特有の粋とか義とか、そんなものですかね。
あ、そうそう。太宰は現在では観光資源になっていますので、津軽でも悪く言う人はいません。
元々、津島家は有力な家ですから、昔も大っぴらには悪口を言えなかったんではないでしょうか。
では、ごめんなさい。