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(回答先: Re: 香田氏の発言のすいませんでした がわかるひといませんか 投稿者 ワヤクチャ 日時 2004 年 11 月 05 日 22:45:45)
小泉の国策どうこう、テロに殺されても仕方ない云々の下りを混ぜるのはお門違いだ。
「混ぜるな危険」
彼は、自衛隊派兵反対ののろしまでは挙げずとも、賛成などは断じてしていなかった筈だ。
でなければイラクへ足を運ぼう等とも思わない。
もし小泉が口走る、「国策の為の自衛隊派遣」に賛成していたとするのなら、イラクを外から観てられる奴だ。まさか「嘘ばかり」と自衛隊の活躍を見に行った訳でも無かっただろう?
まぁ、どっちにしろここでは、彼の「すいませんでした」についての自分の考えだけを述べさせてもらう。
故人があの状況下で、カメラの前で、「今更アホな事を言ったとて、あの政府、あの嘘ばかりの連中の前に、自衛隊撤退をいくらカメラに向かって饒舌に喋ろうとも無理、無駄」とは肌で痛感してるからこそ、出る言葉は、素直な「死にたく無い、すみません」しかなくなる。とこれは飽くまで一般的な感情論だが。
彼の気持ちになって感じるものを挙げて行く。
あの場に於いては、いやあの場に於いても尚、自分に対しての「これから」が断たれる事に対する恐怖より、親、家族に対しての想いと、「正しい未来に続く正義」を唱える正直者ゆえの儚さが漂っていた筈だ。
「すいません」
その口をついて発せられた言葉は、世間に対して、現場におかれている自分個人の責任問題等から発せられたものではなく、
逆に無情な世間に対する諦念、自分が信頼し生きて来た世界に対しての「無念」の一語、
それは最後の・・彼の、一方的でありながらも、
「嘘ばかり」である世間への、
意識の触れ合いを求めた「辞世の句」に近いものだったかと、感じる。
一人旅、ということに着眼すれば考えそうなモノの見方であるが、
別段人嫌いであったとかでは無く、逆を言えば、独りであった事は、
真に想いを分つ仲間を求めての旅であった事が伺える。
イラクの民は皆真実の被害者であり、真実の苦しみを味わっている。嘘を発していないのは彼等のみである。
本来、正常な世界であれば、そのような苦しみなど無い中に正しさ、真実が 有るものなのだが。
そう考えればむしろ、周りには内緒で、当初からイラクへ赴こうと考えていた節もあったのでは、
と考える事は別におかしい事ではない。
「若さ故」・・との言葉を、彼に対して使うというのなら、それは、
「仲間に対するストレートな想い、正直であろうとするために走りだす激情」という意味をもたせタ
上でのみかけられる。
ここでいう仲間とは即ち宗(むね)を一にできる自分が持つ世界に対しての不信感について同様に共感しあえる仲間である。その仲間を求めて、旅として意味を持たせたかったのだと思う。
この国には、少なくとも周囲にはその共感しあえる人間を感じられなかった。
「自分探し」とは理想としてではあったのだろうが、
少なくとも彼はそれを実現しようと、非常に危険な地域にまで足を運んだ。
それは十分に"本当"の「自分さがし」だったと言える。
果たして彼の言う「自分探し」とは何だったか。
それは、自分が何者か、世に居るのは何の為か。
その使命を知る為に初めには先ずそれを教えてくれる「他人(仲間)さがし」から始まるのでは無いか?
周りに「嘘ばかり」に共感しあえる友人が居たのか。
彼にとって真実を吐き出してくれる場所、そこは一体何処だったのか、イラクで終えたからにはイラクにあったのだろうと思う。
それを彼は見つけたか、今はなんとも言えない。
後はこの国の国民が彼の想いに耳を傾ける日が来た時、叶えられる。
確かに周囲との協調性は大事だ。彼にはそれが世の平均的男性よりも、足りなかったのかも知れない。しかし、世界が彼のような人間の知りたかった真実を隠しつづけようとする限り、今後もこうした不満が形としてこれからもそこかしこで連鎖するだろう。
それが普通の人間が持つ感性だ。
人間とは、強権的な飼育教育の施しを甘んじて受ける、金で縛られる無機質な連中ばかりじゃ無い。
有能だとする地位の公務員ほど思考機能に欠陥障害が増え、実際は園児からやり直した方が良いイエスマシン。「社会とは・・」と主張する連中の価値観、世間とのズレ、思い違いは目に余るほど甚だしい。
価値観がまるで違う。
自分を正当化する事にかけては非常に口が回る。これは決まっているらしい。だが、ずれているだけに内容が低俗である。彼のような人間にとってこれ程呆れたあほらしいものはない。それが良いとされる世の中だ。
若さ故のものは、彼を過剰な程に自信家であり正直者にした筈だ。 ソレハミトメヨウ。
それ故に、捨てられないものは頑固に現れ、それは死を身近にしてより命よりも重く感じた筈。
カメラを通じ「嘘ばかり」であるこちらの世界に、最後のコンタクトとなるかも知れない、
だからこそ「すいません」の後に続くのは「まだ死にたくない」素直な情を吐露した。
世界がここまで異常だったか、などとはまだ弱冠24、身に染みた経験もそう多く無い。
ドウナッテモシカナイトイウノカ。ナルホドコノヨハツメタククライ。スポーツニアセヲカクニンゲンノイキザマトハコノテイドダ。
みたままに正直にビデオにはでていたじゃないか。
まだ死にたくない、助けて下さい、と。
これに対し、政府側の反応として取りざたされた「前回と違う」という?な発言は、この「すいませんでした」という完結した言葉を受けての、「心の確証」故のレスポンスを置かない反応からでたココロノカケラカラトビデタ発言、と見ても今は問題は無いかも知れない。ジッサイハ、ソウシタホウガヨサソウダトオモッテ。
確かに演出じみたものが無かったからかも知れないが、そこで政府が適格な判断、対応を採った、とする事には一切、なんら繋がっていない事は見逃せない。コレハミノガセナイ。
ビデオ部分に演出があった、何かしら繋がりがあった、とした前回同様
なんら対応の変化等行動に見られる事無く、結果はほったらかしただけである。
ほったらかさざるを得ない、とでも言わんばかりに、無能である事を幾らでもひけらかしても何も言わない国民とマスコミだ。
ヨッテ、使える逃げ道はどんな程度の低い事だろうと幾らでも残しておく方針のようだ。
人間目を見れば嘘か正直かすべて判る。
患部公務員の言い分はこうだ。「人は人の心が読めるか?(笑)読めないだろう?(笑)だから心理に訴える(恐怖を与える)徹底した教育が必要だ」と。
だから信じる事、信用、信頼など上辺だけのものだと言う。心情に訴えかけられても動じない強い精神をこうして養う・・って意味が全然違うんだが、言葉そのものの認識には見事に反応はするものの意味は判らないらしい。ダカラミンナメガイッチャッテル。シンダサカナノヨウダ。
つまり連中は 人には心などない、必要ない、と言っているのと同じ。
メニミエナイモノハミナソウナルノダロウ。
公務員はすべて、こうしたことに徹底して良しとし、実に低俗な連帯感で安心する。
話がずれたが、とにかく、今回のこの不可思議な部分こそ国民は政府を糾弾すべきなのに、だ。
前回とは違ってなんのリスク論も、なんの行動も国民から提議されていない。
この事件がこのまま忘れ去ろうとする流れにあるのなら、これは問題だ。
前例を忘れてこの事件を純粋に分析した人間はどの位居るというのか。
しかしながら、彼の「すいませんでした」は、前の人質事件が引き起こした、
国を挙げての国民保護放棄のてんやわんや、茶番だと騒ぎ叩かれた件を引き合いとしてイメージさせるが、あの事件がのちに、人としての正しい言い分は、果たして、
人質となった国民、批難した政府と批難した国民側のどちらだったか?
について、彼も痛烈に思う答えを得たのだろうと感じ思わせるニュアンスがある。
勿論、彼の得た答えは「嘘ばかり」の解釈の中に含まれるものだろう。
あの国民煽動疑惑の自己責任論は、若いだけに余計激しく胸を揺さぶられた一件だった筈だ。
それでも尚イラクへ入る決意に変えた自信と理由はなんだったか。
もっと他に現場にあった筈だ。
会話を交わしたフランス人や他にももっと有力な情報、隠している事は無いかも知れないが、
何故、どうやってフランス人が「安全だった」イラクと今のイラクとの違いはあるのか、
で、どのような行路の途中で拉致されたのか?
その経過にはもっと"何か"があった筈だ。まだ彼は誤解されるやすい人物としての情報しか無い。
単純に今回拉致したグループに聞けば良いだけの事だが。
同じグループなのか?他国の被害者同様、今回、目敏く日本人旅行者を星条旗に包んだ"演出"をしてまで殺害するというには、どのような得策があったと考えられるのだろうか。無差別としての位置付けは考えにくいと思う。それは「彼等は自衛隊の撤退を訴えている」と、彼が伝えている事から一目瞭然だ。
彼は、人質としてのあの場に於いてもなお、カメラを通じて「嘘ばかり」であるこちらの世界に対し、
冷静にも、述べたき義が腹づもりであったために、余計に
「"彼等は"自衛隊撤退を訴えています」、と心にも正直にそのままを述べ、
そして世俗と最後のコンタクトかも知れ無いと悔やむ事も素直に「まだ死にたく無い」と述べ、
だからこそ、万感の想いに完結する潔さで「すいませんでした」という言葉で締めくくっている。
無謀であるが、正直一辺倒な若者だったと思う。
危険を覚悟でも尚、そこへ行く、そう思い通りを実現する、一本やりな性格は時には損かも知れない。
結果は無念だが、非難するような連中は到底足元にも及ばない高い人間性だ。
こうした人間が今回助かっていれば、国の将来にどれほどの資産となったか。
意味の有った一生に敬意を払い、讃える。