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(回答先: [Re: ]真の敵(パラドクス) 投稿者 餃子異性改革 日時 2004 年 11 月 09 日 04:43:30)
真理の追求の為に自分の命を投げ出したのが香田さんなんだと思います。
木村愛ニさんも似てますね。
>‥‥
>「問題は、権力・集団の圧力に対して、真実を唱え続けられるかどうかだよ」
>「そのためにはむしろ、強引にも映る剛毅な自我が有ったほうがいいよね」
命がけで真理を訴える姿勢でしょうな。
戦場のジャーナリストは皆そうじゃないですか?
権力にとってはジャマな存在でしょうな。
だから、無謀とか、殺されても自業自得とか最大限の罵倒をするのでしょうな。
これは、権力に守られてぬくぬくとしていたいが、その姿を自覚したくは無い
日本人の自尊心を損なわない為に行われるバッシングだと思います。
私も大学で原水禁運動を始めた時に様々なバッシングを学友から受けました。
「そんな活動ばかりしてお母さんは心配しないのかい?」とか。
「オマエは大学生になってもまだお母さんを心配させないように行動しているのか?」
と言ってやりたかったのですが。(実際には言いませんでした。)
>「本当の敵は、集団性のなかに潜んでる‥‥」
はい。
>「だから反定立に過ぎない集団的な運動に、答えは無いわけだ」
ん?
そうですかね?
体制側の論理に対抗して反体制の論理を集団的に構築する事は必要なのでは?
それが、阿修羅掲示板がやっている事では?
集団一般の批判は間違っているのでは?
>「皆が集団的で、集団が嘘を求めているとき、それを脱するには、日常の無いところに>行かなくちゃね」
そんな場所はありません。
自分のこれまでの日常にとって異質な日常があるだけでしょう。
今度、フィリピンに行きますが多分一生忘れられない日常を目の当たりにする事でしょう。
>「でも、他者に見切りをつけてちゃ、何処に行っても友達にはなれないよね」
そりゃそうです。
他者一般の批判をする事は間違いです。
>「真の友達もね。だって自分だけが目覚めてるんだからね」
>「突出してるんだよね、馬鹿正直さ加減が」
>「でも、周りの人よりも鋭いんだよ」
>「信用できるよね」
>「煙たがられるよね」
>「難しいね」
>「ぼくたちは、どうなのかな?」
>「真の馬鹿と、真の馬鹿となら、真の親友になれるよね」
真実をバカ正直に追い求める同士は親友になれるでしょう。
>「‥‥」
>「‥‥」
>「‥‥」
>「ね!」
>「‥‥」
>「‥‥」
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>(誰から見ての協調性なの?)
そういう事です。
協調性一般はありません。
全ての人間が何等かの幻想の元に生きているという観点が必要です。
共通する幻想を持った者同士が仲良くなるだけです。
キリスト教原理主義
アメリカによる世界秩序
イスラム教原理主義
日本の国益
創価学会
共産主義
などの幻想を解体する為の共同幻想が必要です。
真理とは「最大多数を幸福にする為の幻想」の別名でしかありません。
各幻想主体は自派が世界を覆い尽くせば「最大多数を幸福にできる。」という幼稚な
考えの下に行動しているのです。
観念論が世界を破滅に導いているのです。
唯物論という名の観念論も同罪です。
つまり、人類は言葉という過剰なものを持ってしまった為に
より弊害が少ない幻想によって自らを洗脳するしか道は無いのです。