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(あっしらさんへ)「空虚」な観念が「主ー客」さらには「支配ー被支配」構造の鍵ということでしょうか?
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/616.html
投稿者 オニオン 日時 2004 年 9 月 01 日 05:42:23:iftHLhX4R7M9I
 

 あっしらさんこんにちわ。大変遅れてしまったのですが、【「感性世界」=「物質的世界」と「観念世界」=「事象的世界」
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/520.html】へのレスです。前回は大変素晴らしいレスありがとうございました。

 本題に入る前に少し=====================

 あっしらさん「感じたままの「世界」は存在しないというかそういう認識はできないと思っています。美意識(美的判断)の即自性を思い浮かべていただければなんとなく理解していただけれると思っています」

 認識したものには認識された時点で何らかの意味づけがされているという事でしょうか。逆に言うと認識という作業は意味付けを含むともいえそうですね。一種の梵我一如と言う気もします。恐らくですが、仮に「純粋」な世界があるとしても、人がそれを感じるには観測主たる自分自身の影響を無視できないからではないでしょうか。これも「主ー客」構造の虚構性といえそうですね。

 あっしらさん「自然科学は知識も考察経験もたいしてありませんが、近代科学は、物質還元主義のきらいがあると考えています。
電磁波(光)現象も、物質として理解しようとしたら齟齬が生まれます。光は、物質ではなく、物質相互の関係性から生じる事象だと考えればけっこう腑に落ちる現象です。」

 すみません。何度も考えたのですがこの事が上手く理解できませんでした。出来ればもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。

=====================以下本題です。

 やや大雑把ですが話をまとめると、「感性世界」は具体的事物に関する認識であり「観念世界」は抽象的な物事の関係や、感性(感覚)の直接認識できない存在(宇宙や或いは原子、分子などのミクロな世界)の説明(認識)ということでしょうか。
 何というか一見「だからどうしたのですか?」的な内容(ごめんなさい)なのですが、よく考えるとこれはもの凄いものですね。
 実は正直に告白するとなぜあっしらさんが「感性(感覚)世界」、「観念世界」という言葉(概念)を持ち出されたのか始めのうちはいまいち理解できなかったんです。話の流れはあっしらさんが「「知識」ではなく「想像力」」という投稿をされて、それに対して僕が横レスを入れそれに対しての「感性(感覚)、観念世界」というお話でした。

 知識ではなく想像力、というのは知識はそれを用いて自らの中の世界をより広く深く豊かなものにする為にということでしたよね。そして、その世界は感性世界と、観念世界によって成り立っていると。

 畢竟、説明体系である観念は具体的な感性による裏付けを必要とします。具体的な人と人との関係のありよう(物事の内的意味)に付けられた「平等」という名の観念は、それを現実に用いるときには具体的様を感覚的にイメージ(想像)しなければなりません。「宇宙」という概念も人の身では直接に知ることの出来ぬものであり、やはり具体的な事物よりどの様にみちびだされるかを認識していなければ空振りに終わる可能性もひくくはない。
 感性は生活の幅に、観念は思考の幅に規定されているとも言えそうです。
 
  話が少し飛ぶかも知れませんが、感性と観念の在り様について少し。

 あっしらさんの前回の投稿を受けて色々考えさせてもらったのですが、結果現代社会の最大の問題は問題が「遠い」事にあるのでは思うようになりました。
 ここで言う「遠い」とは物理的な意味も含めますが、主に意識上に置いてです。
 現代社会は「自然破壊」、「戦争と貧困」、「食料関係」、原子力や遺伝子工学に代表されるような使い方しだいでは人類に多大な災厄をもたらす「科学技術の超高度化」、「経済の構造」など実に様々な問題を抱えていると思われます。細かく分ければ正直問題の数を数えるのも嫌になるような豊富さでしょう。しかしその大半に共通するのは、どれも国籍を問わず普通に生活する分には余りに「遠い」ということです。
 これらの問題はどれも困難ではあれ、人間が協力(重要)して立ち向かえば解決出来るものだと思います。なのに一部の団体が「一般の生活からは大分離れた形で」運動している以外は、人は殆ど何もしていません。
 これは決して自分達が火の粉から逃れられているわけではありません。寧ろ如実に自分の身に降りかかってくるものもあります(茹だる様な都市の暑さとか;笑)。しかし「なぜか」他人事のように感じられてしまうのです。

 これはどうしてか?
 まだ上手くはまとめられ無いのですが、この近代に包括される現代社会での生活、すなわち近代的生活というヤツが、自らの生存基盤に目を配らなくても行える為に意識がそんな遠い処までは向かないからだろうと考えています。
 「感性」の幅は狭く、「観念」は感性との連関が殆ど断ち切れているため興味の対象には成りにくいのが近代人の悲しい(?)処ではないでしょうか。
(そして勝手な期待になりますが、この事の解決策はあっしらさんのいう「開かれた地域共同体」の「政治的人間関係」にあるのではと思っています。)

 余談になりますが、「遠さ」=(観察者にとっての)存在の希薄性は近代に置ける政治にも適用できるのでは考えました。

 例えばですが僕は小泉総理を直接には知りません。それでも本人からのメッセージなどがあればまだましなのでしょうが、それすらも無くマスコミの解釈としてのものでしか知りません。つまり僕にとって(恐らく他の多くの人にとっても)小泉総理は「感性」ではなく「観念」なのです。それも与えられたものだから酷く感性との繋がりの弱いものです。

 では小泉さんは僕のことをどう思っているか?当然ですがまず間違いなく知ってすらいないでしょう。そして僕だけでなく他の国民の皆さんについても知らないでしょう。さらには一般的な国民の生活すらも。
 これは推測ですが小泉さんの国民像も直接の体験のによって感性から得た観念ではなく、周りから聞きかじった(つまり与えられた)観念なのではないでしょうか。
 日本の人口は一億二千万もあるのですから「国民」というものが感性よりも観念よりになるのは仕方の無いことですし、別に観念は悪いものでも無いでしょう。ですがその観念が外からの知識は用いしも自分の感性を基盤として組み立てたものなら兎も角、小泉さんの場合は観念が外からの知識の鵜呑みか、自分の都合だけで出来上がっているようにしか見えません(だから言葉の一つ一つがあそこまで空虚になるのではと思ってます)。

 そしてこれは程度の差はあれ近代における政治(生活の延長)の宿阿ではないでしょうか。空虚な観念化は小泉さん以外の政治家にも、官僚の方達にも感じます。
 国民による生身の人間である政治化の感性を無視しての観念化。政治家による生身の人間である国民の感性を無視しての観念化。
 このことが政治家と国民を支配者と被支配者にしている理由ではないかと思います。
 あっしらさんは以前エリートは上から見下ろすのではなく地に降りるべきだ。それがエリート自身の能力の開花にも繋がる、という趣旨のご発言をされていましたが、この辺にも関係があるのでしょうか。

 あっしらさん「他者関係性のつまらなさそれをいろいろ考えていくと、少数者が多くのひとを“手段化”している国家社会の「支配−被支配関係構造」に行き着きました。このへんは、「開かれた地域共同体」とも関わる問題なのでおいおい説明していきたいと思っています。」
 これまた本当に楽しみなお話ですね。これは本当に単なる我が儘なのですが、「産業資本主義の終焉」シリーズの次として「開かれた地域共同体へ向けて」的な内容のはあるのでしょうか?もしあるなら是非読ませて頂きたいと思います(本当に身勝手な期待ですが、、)。

 上の様な訳で、あっしらさんと同じく何よりも自分が可愛いものとして(笑)あっしらさんの御自愛、御健勝をお祈りしています。

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