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(回答先: 直線を語ることは超越神を語ることか? 投稿者 baka 日時 2004 年 9 月 05 日 11:30:33)
bakaさん、どうもです。
【bakaさん】
「bakaの子供の頃の疑問: 二つの直線が並行であるとことを人は如何にして認識するか?
bakaの最近の疑問: 先日、見つけたウンモ星人関連のサイトで、人間が距離や空間と認識しているのは、色の認識と同様、脳内で作られたもので、宇宙の実態とは異なっている云々(正確な表現もサイトURLも忘れました)とあるのを読んで浮んだ疑問です:直線を直線であると人は如何にして認識するのか?
bakaのときどき想起する疑問: 排中律は幻想か?
「“無”は観念としてしか存在しない非実在」だとしたら、有の否定である無が非実在。ゆえに有も非実在となって矛盾。ゆえに排中律は誤り(背理法)。となってしまうが、背理法自体が排中律を前提にしているので、実は証明になっていない。有の否定を考えるのが誤りなのか?」
現実(認識対象)と認識(思考)の違いを押さえるべきだと思います。
「2直線の平行問題」も、直線という数学概念と平行という数学概念から構築されたものですから、現実の平行らしき直線のような二つのラインがどこまで延長しても交わらないという認識は感性的には生まれてこないはずです。
(二つの平行っぽくて直線っぽい現実の特性を見たことが出発点ですが、それをベースに、どこまで延長しても交わらない二つのラインは、平行な二つのラインという観念が先行した)
「空間認識」は、自分の視覚内容を冷静に考えればわかるように、脳内ですごく“補正”された結果のものです。(透視法的に見えているわけではなく、透視法的に歪みや距離感が是正されている)
「排中律問題」に限らず、論理的思考の手法は、幻想の一種とも言えます(笑)
幻想(概念操作)であることを踏まえて、“思考経済”の道具として役立てればいいわけです。
“有”の否定は、世界認識としては無効でも、論理思考としてなら有効です。
“有”の非実在性という指摘は正しいもので、“有”にはある具体的な内容(現象)が潜んでいるだけで、そのような実在はありません。
具体的な実在を抽象した概念が“有”であり、その“有”概念の外にあるのが“無”です。
見つけることができない“無”を思念することで、“有”が生き生きと感じられることもあるでしょう(笑)