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(回答先: なんだかよく分らなくなりました。 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 9 月 04 日 09:23:57)
クエスチョンさん、どうもです。
【クエスチョンさん】
「>「宇宙」は、人や地球といった分節化された概念ではなく、「存在」とい
>う概念に近い概念です。「物質」とともに科学における形而上学的対象と
>も言えるもので、範囲も量もない純粋観念存在です。
ここに来て、何だかよく分らなくなりました。「有」と言うのは範囲・量もある存在だと思っていたからです。
それとも「色即是空」「空即是色」ということなのでしょうか。
ビッグバンとの関連で、あっしらさんのご説明をもう少しお伺いしたいです。」
認識の対象としては、範囲を限定して意味(名前・概念)を付与できるものと、対象の全体(範囲や量そして事象について)がわからないものがあります。
そして、この違いは、認識のあり方や認識成果である説明体系に大きな違いをもたらします。
結論的に言えば、範囲も量も事象のすべても分かっていない対象を科学的体系で説明することはできません。(物語としては可能です)
“有”は“ある”ということであって、範囲や量の見極めができるとは限らない概念です。(名前や意味が付けられていなくてもいい)
わかりやすいかどうか不明ですが、“有”は“無”の反対概念だと考えればいいと思います。
“無”は観念としてしか存在しない非実在で、どこを探しても見つかるものではありません。(どこかで見つかれば、それは“無”ではないということです。“無”という概念に矛盾する)
“有”は、とにかく“無”ではなく“ある”というだけで、範囲も量も無関係の概念です。
ビッグバン説は、神の創造説を“自然化”した考えだと理解しています。
詳しくはありませんが、宇宙の始源状態としてとてつもない単位質量をもつ存在があり、それがある事象で“解き放たれ”急速に膨張した(膨張している)といった宇宙観は、否定も肯定もしません。
まず、「膨張する」というのは範囲や量が定まっているときに言えることです。
また、宇宙の始源状態が範囲や量が限定されたものなら、その範囲外は何か?という問いが出てきます。(答えは、“無”しかないはずです)
全知全能の神がいるのなら、“無”も自己のものとし、“無”から宇宙を創造することもできるでしょう。
しかし、ひとは“無”を知ることもできなければ“無”から“有”をつくりだすこともできないのですから、ビッグバン説に物語以上の意味はないと思っています。